平成21年(行ケ)第10096号
審決取消請求事件(特許)
口頭弁論終結日
平成22年11月9日
判決原告出光興産株式会社
訴訟代理人弁護士
竹田稔同木村耕太郎同服部謙太朗
訴訟代理人弁理士
大谷保同東平正道同片岡誠同伊藤高志同原茂樹同土田美隆被告
保土谷化学工業株式会社
訴訟代理人弁護士
増井和夫同橋口尚幸同齋藤誠二郎主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1
請求
特許庁が無効2008-800045号事件について平成21年2月26日にした審決を取り消す。
第2
事案の概要
本件は,原告が有する名称を「有機エレクトロルミネッセンス素子」とする発明についての特許第3981331号(請求項の数11)につき被告が無効審判請求をしたところ,特許庁が同特許を無効とする旨の審決をしたことから,これに不服の原告がその取消しを求めた事案である。
なお,原告が,同審決後の平成21年6月29日付けで特許請求の範囲の変更等を内容とする訂正審判請求(請求項の数3)をしたところ,特許庁が独立特許要件を欠くとして請求不成立審決をしたことから,原告は同審決の取消しを求める訴訟を提起し,同訴訟は本件と並行して審理が進められている。
2 争点は,①上記発明が下記の引用例1ないし3に記載された発明から容易想到であったか(特許法29条2項),及び②上記発明に係る特許が同法36条6項1号所定のいわゆるサポート要件(特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること)を充足しているか,である。記引用例1:雑誌「Organic Electronics 2 (2001)」37~43頁部分の「Efficient electrophosphorescence using a doped ambipolarconductive molecular organic thin film」(ドープした両極性導電性分子有機薄膜を用いた効率的なリン光発光)2001年(平成13年)3月発行(甲1,以下これに記載された発明を「引用発明」又は「甲1発明」という。)
引用例2:国際公開特許公報(WO95/09147号)・発明の名称「有機エレクトロルミネッセンス素子及びアリーレンジアミン誘導体」・国際公開日1995年(平成7年)4月6日(甲2,以下これに記載された発明を「甲2発明」という。)
引用例3:城戸淳二監修「有機EL材料とディスプレイ」・株式会社シーエムシー平成13年2月28日発行(甲3,以下これに記載された発明を「甲3発明」という。)
第3 当事者の主張
請求の原因
(1) 特許庁における手続の経緯
ア 原告は,平成13年5月24日の優先権(特願2001-155290号)を主張して,平成14年5月8日,名称を「有機エレクトロルミネッセンス素子」とする発明につき特許出願をし,平成19年7月6日に特許第3981331号として設定登録(請求項の数11)を受けた(以下「本件特許」という。)。
イ ところが,被告は,平成20年3月10日付けで,上記特許の全請求項につき無効審判請求をしたので,特許庁は,同請求を無効2008-800045号事件として審理し,その中で原告は平成20年6月3日付けで,特許請求の範囲等の変更(請求項の一部削除を含む)等を内容とする訂正請求をして対抗した(請求項の数6,甲5の1。同訂正後の発明を「本件発明」と総称する。)が,特許庁は,平成21年2月26日,「訂正を認める。特許第3981331号の請求項1乃至6に係る発明についての特許を無効とする。」旨の審決をし,その謄本は同年3月10日原告に送達された。
(2) 発明の内容
平成21年2月26日付け訂正後の本件発明(請求項の数6)の内容は,以下のとおりである(下線は訂正部分。これに記載された発明を以下順に「本件発明1」等という。)。
・【請求項1】
一対の電極間に発光層または発光層を含む複数層の有機媒体を形成してなり,該有機媒体内に重金属を含有する有機金属錯体からなる燐光性の発光材料を含有する有機エレクトロルミネッセンス素子において,該有機媒体内に下記一般式(I)で表されるアミン誘導体を含有することを特徴とする有機エレクトロルミネッセンス素子。
一般式(I)
(式中,Bは,無置換のビフェニル基であり,A及びCは,単結合であり,
1 234
Ar,Ar,Ar及びArは,無置換のフェニル基,ビフェニルイル
1 234
基,ターフェニルイル基である。ただし,Ar,Ar,Ar及びArのうち少なくとも2つが無置換のビフェニルイル基を有する。)・【請求項2】
前記一般式(I)で表されるアミン誘導体が,下記一般式(III)で表される4,4’-ビフェニレンジアミン誘導体であることを特徴とする請求項1に記載の有機エレクトロルミネッセンス素子。
10 19
(式中,R~Rはそれぞれ水素原子である。)
・【請求項3】
前記一般式(I)又は(III)で表されるアミン誘導体を正孔輸送材料として用いることを特徴とする請求項1~2のいずれかに記載の有機エレクトロルミネッセンス素子。
・【請求項4】
前記重金属が,Ir,Pt,Pd,Ru,Rh,Mo及びReの中から選ばれる少なくとも一種類であることを特徴とする請求項1~3のいずれかに記載の有機エレクトロルミネッセンス素子。
・請求項5】
【
前記重金属を含有する有機金属錯体の配位子に,
【化4】
及びこれらの置換誘導体の中から選ばれる少なくとも一種類が含まれることを特徴とする請求項1~4のいずれかに記載の有機エレクトロルミネッセンス素子。
・請求項6】
【
前記有機金属錯体が,重金属に前記配位子が2~4個配位したものであることを特徴とする請求項5に記載の有機エレクトロルミネッセンス素子。
(3) 審決の内容
審決の内容は,別添審決写しのとおりである。その要点は,①本件発明は引用例1ないし3に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたから特許法29条2項の規定に違反して特許されたものである,②
本件特許の請求項1から6の記載は同法36条6項1号に規定する要件を満たしていない,というものである。
(4) 審決の取消事由
しかしながら,審決は,以下に述べるとおり,甲1発明に対して引用例2及び3に開示された発明を組み合わせて本件発明を容易に想到し得たと誤って判断し(取消事由1),実施例に記載された構成以外の構成について本件発明が作用効果を奏することが明細書に記載されていないと誤って判断した(取消事由2)ので,違法として取り消されるべきである。
ア 取消事由1(甲1発明に対して甲2発明,甲3発明を組み合わせて容易に発明できたとの判断の誤り)
(ア) 取消事由1-1(本件発明1の構成が容易想到とした判断の誤り)
a 本件発明は,高輝度領域においても発光効率が高い有機エレクトロルミネッセンス素子に関する発明であり,より具体的には,燐光素子でありながら実用的な高輝度領域(1000~10000cd/㎡)での急激な発光効率の低下という従来技術の課題を克服した発明である(甲5の2)。
有機エレクトロルミネッセンス(有機EL)素子は,電圧が印加されると,陽極から正孔が,陰極から電子が注入され,発光層においてこれらが再結合し励起状態が形成される。励起状態には一重項励起と三重項励起の二種類があり,電子スピンの統計則により,一重項励起子と三重項励起子が25%対75%の割合で生成する。一重項励起を生じさせる素子を「蛍光素子」,三重項励起を生じさせる素子を「燐光素子」という。蛍光素子,燐光素子の区別は,発光層に用いる材料(発光材料)によって決まる。なお,発光層は,主たる材料(ホスト)にごく少量の別の材料(ドーパント)を添加して成膜される。本件発明における「有機金属錯体」は発光層のドーパントである。
本件特許の出願当時,有機エレクトロルミネッセンス(有機EL)素子としては,蛍光素子と燐光素子とが存在した。理論的には,一重項励起と三重項励起とは1対3の割合で生じるので燐光素子の方が発光効率を高めることができる。しかし,一般に表示パネルの実用輝度領域とされる1000~10000cd/㎡の高輝度領域においては,本件特許の出願当時,燐光素子の発光効率は急激に低下することが知られていた。その原因は,三重項状態間の相互干渉による励起状態の消滅,いわゆる「三重項三重項消滅」にあるとされ,理論的に回避不能な燐光素子の欠点であると考えられていた(甲1)。
したがって,本件特許の出願当時,燐光素子は,将来的には実用化の可能性があると期待されてはいたものの,燐光素子を実用化するには従来の常識を超えた技術革新が必要と考えられていたのであって,当面の実用化目的には蛍光素子しかないと考えられていた。
原告は,長年にわたる有機EL分野での研究実績などから,励起された三重項状態の消滅が起こる原因として,正孔輸送材料に含まれる芳香族環の電子軌道構造,特にナフチル基のような縮合芳香族環構造が三重項励起状態に影響し励起状態を緩和させ,消光させていると着想し,正孔輸送材料の構造と高輝度領域での効率との関係について鋭意検討を行った。
その結果,当該着想どおり,正孔輸送材料としての有用性が知られている数多くのアミン誘導体の中で,縮合芳香族環構造が少ないアミン誘導体,中でも縮合芳香族環構造を全く持たないアミン誘導体が上記課題の解決に著しく有効であることを見出し,本件発明を完成させたものである。
通常の着想であれば,発光材料を工夫することにより課題を解決しようとするはずのところ,原告は,一見,課題の解決と関係のなさそうな正孔輸送層の材料(正孔輸送材料)に着目したものであり,これによって,理論的に回避不能な燐光素子の欠点であるとされた,実用的な高輝度領域における発光効率の急激な低下という課題を解決したのである。
なお,高輝度領域における発光効率の急激な低下は蛍光素子においては生じない。したがって,本件発明の課題は燐光素子に特有の課題である(甲8参照)。
b 引用例1には,上記課題及びそれが解決困難であることが明確に記載されている。すなわち,引用例1訳文2頁下4行から3頁7行の記載において,J0(効率半減電流密度)を大きくするためには,つまり高電流密度(高輝度)域での発光効率の低下を防ぐ(発光効率ηextを落とさない)ためには,(i)再結合膜厚(励起子形成領域の厚さ)dが大きい素子構成とするか,(ii)励起寿命(りん光寿命)τを小さくするかの,いずれかの解決手段しかないことが明確に示されている。しかし,(i)再結合膜厚(励起子形成領域の厚さ)dは,発光層内において電子が陽極方向に,また正孔が陰極方向に移動できる距離に依存する。したがって,dを大きくするということは,正孔,電子をともに輸送可能な,すなわちバイポーラ性のあるホスト材料を用いることによって,発光層のうち実際に発光する領域の厚さdを大きくするということであるところ,そのようなホスト材料は現在に至るも見出されておらず,当業者であれば,再結合膜厚dを大きくするというのは理論的には可能な解決手段であっても,実際には極めて困難であると,本件特許の出願当時には考えていた。
また,(ii)励起寿命(りん光寿命)τは,励起子が存在する発光層の材料特性に依存するため,τを小さくするということは,発光材料(ホスト材料又はドーパント)を変更することを意味する。すなわち,新規な燐光用の発光材料を開発することが必要となる。
そして,当業者は,引用例1の記載上,高輝度領域についてはdとτのみに着目し,それ以外の因子(例えば正孔輸送材料)には着目しないのである。
ホール輸送材料が燐光発光素子の発光特性に影響することは当然ではなく,仮に何らかの影響を与えるとしても,どのような正孔輸送材料を用いればどのような影響を与えるかは実験しなければ分からないことである。
そもそも,引用例1には,発光材料を改良することにより課題を解決できる可能性が示唆されているのであるから,正孔輸送材料を改良することにより課題を解決するという発想に当業者が想到するのは容易でなく,極めて困難である。また,引用例3の表1に記載された「ホール輸送層として機能するための基本的な要求」を満足したからといって,本件発明の課題が解決されるわけではない。
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出典:裁判所ウェブサイト「裁判例検索」(https://www.courts.go.jp/hanrei/80933/detail7/index.html)。本文は同サイト掲載の判決書PDFからTaiLexi AIがテキスト化・整形したもの(正確な文言は原本PDFを参照)。判示事項・裁判要旨・参照法条は裁判所の公表どおり。