主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1 控訴の趣旨
1 原判決中乙事件に関する部分を取り消す。
2 被控訴人は,控訴人に対し,178万円及びこれに対する平成22年1月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は,乙事件につき第1,2審とも被控訴人の負担とする。
4 第2項につき仮執行の宣言
第2 事案の概要(略語は原判決の表記による。)
1 本件は,福岡市議会議員である控訴人が,被控訴人に対し,福岡市長(市長)により平成21年4月1日行われた,控訴人に対する同年度の政務調査費312万円(月額26万円の12か月分)の交付決定(本件交付決定)に基づき平成22年1月12日を交付日とする同年1月分から同年3月分までの政務調査費合計78万円及び遅延損害金の支払を求めるとともに,同日,市長が,被控訴人には控訴人に対して平成16年度及び平成17年度の各政務調査費の残余金合計101万2962円の返還請求権(本件返還請求権)があるとした上,これを自働債権,控訴人が被控訴人に対して有する政務調査費についての上記交付請求権(本件交付請求権)を受働債権とし,対当額で相殺した(本件相殺)として,上記交付請求に係る政務調査費を交付しなかったことは,控訴人の政務調査活動を妨害したものであり,国家賠償法1条1項に該当するなどとして,慰謝料100万円及び遅延損害金の支払を求めた事案である(原審乙事件)。
原審は,本件交付請求権は,本件相殺により消滅したとして,本件交付請求権に基づく政務調査費の支払請求を棄却し,併せて,本件相殺は適法であって,これが国家賠償法1条1項に該当するものではないとして,控訴人の請求を棄却した。
そこで,控訴人がこれを不服として控訴した。なお,控訴人は,原審において,市長が控訴人に対して平成21年2月27日付けでした平成16年度分及び平成17年度分の政務調査費の各残余金及びこれらに対する遅延利息の合計101万2962円の返還を求める旨の決定(本件命令)につき,主位的にその取消しを,予備的にその無効確認を求め(原審甲事件),これが乙事件と併合されたが,原審が,本件命令は抗告訴訟の対象となる行政処分に当たらず,甲事件に係る訴えは不適法であるとしてこれを却下したものの,控訴人において,これに対して不服申立てをしていないため,甲事件に関しては,当審において審理判断の対象とならない。
2 前提事実
前提事実については,原判決2頁末行目の「平成20年法律第69条」を「平成20年法律第69号」と改めるほかは,原判決の「事実及び理由」欄の第2の2のとおりであるから,これを引用する。
3 争点及び争点に関する当事者の主張
(1) 残余金の有無及び額の判断基準(争点1)
(被控訴人の主張)
被控訴人は,控訴人に対し,平成16年度及び平成17年度の政務調査費に関して,本件命令のとおり,残余金101万2962円の返還請求権(本件返還請求権)を有している。
ア 交付対象議員は,政務調査費の交付総額から,収支報告書の支出欄に記載された適正経費の総額を控除して残余金がある場合に,残余金返還義務を負うところ,控訴人の平成16年度及び平成17年度の政務調査費に関する収支報告書(本件各収支報告書)に記載された本件各切手代が適正経費でないことは当事者間に争いがない。
イ 控訴人は,本件各切手代とは別に,収支報告書に記載のない適正経費を支出していたとして,収支報告書の支出欄を増額修正した上,これを含めて控除すると,残余金はなくなる旨主張するが,提出期限を過ぎた後に,収支報告書の支出欄を増額修正することはできない。理由は以下のとおりである。
(ア) 政務調査費の支出対象は,当該年度に議員が実施した調査研究活動に要する経費であり,収支報告書の提出期限の経過により政務調査費の交付額が確定した後において,収支報告書の支出欄を増額修正することは,制度上認められない。
(イ) 控訴人の主張は,政務調査費の交付額確定後になって,不適正支出が判明したことを契機として,当初の自らの充当判断を覆し,既に特定されている個別の支出内容を後になって差し替えることにより,不適正支出相当額の返還を免れようとするものであり,政務調査費制度の透明性及び公正性を害する。
(ウ) 政務調査費の支出の増額修正を認めると,収支報告書の増額修正があるごとに,議長が支出内容の確認・検査を行わなければならず,正確な事実関係の把握が困難であり,交付額が確定しない不安定な状態が継続するなど,制度の適正かつ円滑な運用に支障が生じる。
なお,控訴人が指摘する収支報告書の記載の訂正は,減額修正に係るものであり,不適正な支出が含まれていたことが判明したとして,当該市議あるいは市議団から自主的に政務調査費を返還したいとの申入れがあり,返還手続を適正に行うために行ったものであって,本件と事情を異にする。
ウ 福岡市議会事務局(事務局)が,収支報告書の作成に当たり収支を一致させるように指導したということはない。
(控訴人の主張)
ア 交付対象議員は,政務調査費の交付総額から,適正経費の総額を控除して残余がある場合に限り,その返還義務を負う。このことは,地方自治法100条13項が,政務調査費を,議員の調査研究に資するために必要な経費の一部として定めていることからも明らかである。
イ そして,控訴人は,後記(2)(控訴人の主張)アのとおり,平成16年度及び平成17年度において,本件各切手代を除いても,いずれも年間312万円を上回る適正経費を支出していたのであるから,これを控除する必要がある。本件各収支報告書を,上記適正経費を含めて訂正(増額)した上,これを控除するべきである。
なお,被控訴人は,平成22年8月に,他の福岡市議会議員については,平成18年度分ないし平成20年度分の収支報告書の修正を認めている(甲28(枝番含む),29)。
ウ 控訴人は,事務局から,収支報告書の収支を一致させるように指導を受けたところ,収支が一致する適正経費がなかったため,やむなく本件各切手を購入し,収支を一致させて,本件各収支報告書を提出したのである。
(2) 控訴人主張に係る適正経費の支出の有無(争点2)
(被控訴人の主張)
仮に,政務調査費の支出の増額修正が認められるとしても,控訴人主張に係る支出は,適正経費の支出とは認められない。
ア 補助員等雇用費について
補助員等雇用費は,控訴人が提出した平成16年度から平成19年度までの各収支報告書においては,いずれもこれが216万円(月額18万円の給与で補助員1人を12か月雇用)と計上されていたが,平成20年8月8日に示された新たな収支報告書において,平成16年度及び平成17年度の補助員等雇用費のみが,252万円(月額21万円の給与で補助員1人を12か月雇用)に増額して計上されており,不自然である。
イ 事務所費及び調査旅費について
平成16年度及び平成17年度の事務所費,調査費及び諸事務費(自動車ガソリン代)については,領収書が提出されておらず,客観的に証明されているとはいえない。
また,いずれの年度も,当該事務所費の支出に当たり必要となる本件要領3条7号所定の「事務所設置届」が控訴人から議長に提出されておらず,政務調査費の事務所費の支出に必要な手続がとられていない。
ウ 諸事務費について
諸事務費のうち,郵便料金については,郵便局の正規の領収書が提出されていない。
(控訴人の主張)
平成16年度及び平成17年度における政務調査費の収支は,正しくは以下のとおりである。
ア 平成16年度
(ア) 収入合計312万0003円
a 政務調査費交付金312万0000円
b 預金利息3円
(イ) 支出合計446万5025円
a 資料購入費合計10万9380円
b 広報広聴費合計54万6050円
c 補助員等雇用費合計252万0000円
d 調査旅費合計6万0000円
e 事務所費合計12万0000円
f 諸事務費合計110万9595円
(ウ) 不足金134万5022円
イ 平成17年度
(ア) 収入合計312万0006円
a 政務調査交付金312万0000円
b 預金利息6円
(イ) 支出合計442万8205円
a 資料購入費合計10万9380円
b 広報広聴費合計52万7550円
c 補助員等雇用費合計252万0000円
d 調査旅費合計6万0000円
e 事務所費合計12万0000円
f 諸事務費合計109万1275円
(ウ) 不足金130万8199円
(3) 本件相殺の有効性(争点3)
(被控訴人の主張)
本件返還請求権と本件交付請求権とを相殺することができる。
ア 本件返還請求権は,本件命令により具体的に発生したものと認められる。
政務調査費の交付については,その実質的法律関係は給付関係であり,公金より支出されるという点で補助金類似の性格を有するものであって,補助金の交付についての規定が準用されるものというべきである。そして,福岡市補助金交付規則(福岡市規則第35号)では,既に交付された補助金について,その返還が命ぜられた(19条)にもかかわらず,これが返還されない(未納付である)場合,その者に対して,交付すべき補助金があるときは,相当の限度において,当該補助金額と未納付額とを相殺することができることになっている(21条)ところ,交付すべき補助金につき,これが事前交付による場合(17条1項ただし書)にも,同21条の規定が準用されることになっているから,事前交付されている本件交付請求権についても,上記要件を充たすことになる。
そして,本件交付請求権と本件返還請求権は,いずれも政務調査費交付制度に関するものであり,同種の実体関係に基づく債権であるから,相殺を認めたとしても一方当事者に不利益・不公平にはならないし,法令上,相殺は禁止されていないから,本件相殺は有効である。
イ 仮に,本件命令が行政処分に当たらないとしても,本件条例13条を直接の根拠として,政務調査費の残余額の返還義務が発生しており,本件各収支報告書の提出期限がその弁済期になるものと解されるから,本件返還請求権の発生が認められる。その余の事情については,アと同様である。(控訴人の主張)
本件返還請求権と本件交付請求権とを相殺することはできない。
ア 政務調査費は,市長に申請を行い,関係書類を提出した上,交付決定がされ,その使用は,被控訴人から交付された金員を用いなければならないのであるから,特定されたものであり,他と相殺することはできないというべきである。
イ 本件交付請求権が相殺されると,控訴人は,政務調査費交付金の支給を受けられず,調査研究活動を行えなくなるから,本件相殺は,控訴人の調査研究活動を妨害するものであって許されない。
第3 当裁判所の判断
1 争点1(残余金の有無及び額の判断基準)及び同2(控訴人主張に係る適正経費の有無)について
(1) 本件返還請求権の存否については,交付対象議員の残余金返還義務について規定した本件条例13条が,「交付対象議員は,その年度において交付を受けた政務調査費の総額から,(中略)交付対象議員がその年度において市政の調査研究に資するため必要な経費として支出した総額を控除して残余がある場合は,これを速やかに市長に返還しなければならない。」と定めているところ,上記にいう「交付対象議員がその年度において市政の調査研究に資するため必要な経費として支出した総額」につき,被控訴人は,収支報告書の支出欄に記載された適正経費の総額をいうものと主張するのに対し,控訴人は,これを否定し,その支出が適正経費としてのものであれば足りる旨主張する。
そこで検討すると,そもそも政務調査費は,議員の調査研究に資するため必要な経費の一部として交付されるものであるから(地方自治法100条13項),地方自治法は,政務調査費の交付を受けた議員がその交付額を上回る金額の上記経費を支出することを禁ずるものではないと解される。もっとも,政務調査費の制度を定めた地方自治法の趣旨は,議会の審議能力を強化し,議員の調査研究活動の基盤の充実を図るため,議会における議員に対する調査研究の費用等の助成を制度化し,併せてその使途の透明性を確保しようとする点にあり,地方自治法100条14項に規定する政務調査費の収支報告書の制度は,上記のような政務調査費制度の立法趣旨,特にそれが議員活動の公費による助成という性格を有するところから,その使途の適正と透明性を確保すべきであるとの見地に立って,特に収支報告書の制度を創設したものと解される。
上記趣旨及び規定を受けて,本件条例は,交付対象議員は,政務調査費の収支を明らかにした会計帳簿を備え,領収書等の証拠書類を整理するなどして,政務調査費の経理を明確に行わなければならない旨(9条2項,12条1項),本件要領は,交付対象議員は,政務調査費の出納を管理し,金銭出納簿の記載や支出の根拠となるべき領収書,証票類を常に整理しておくべきこと,政務調査費の保管については,専用の預金口座を備えるものとする旨(4条)をそれぞれ定め,いずれも政務調査費の使途の透明性を確保しようとしているのであり,特に,帳簿作成については,支出の都度作成することが当然予定されるものであることからすれば,交付対象議員が交付を受けた政務調査費は,自己の財産とは別口座で管理し,支出の都度,政務調査費から支出することを明確にして,会計帳簿に記載することが要求されているものである。
そうすると,本件条例13条にいう「交付対象議員がその年度において市政の調査研究に資するため必要な経費として支出した総額」とは,使途基準に適合した経費であって,収支報告書の支出欄に記載されたものの総額をいうものと解すべきであり,これに反する控訴人の主張は採用することができない。
(2) 次に,収支報告書の記載に誤りがあった場合,その訂正が認められるか否かを検討すると,政務調査費の制度においては,政務調査費の使途の適正と透明性が求められ,これを収支報告書の記載,管理方法等によって確保しようとする趣旨からすれば,収支に関して誤りがあった場合には,資料を添付するなどして速やかに訂正等を行うことも認められるものというべきである。
そこで,進んで,本件につき,収支報告書に上記誤りがあったか否かについて検討すると,前記前提事実及び証拠(甲7,8,14,乙16(枝番があるものはこれを含む。),原審証人A,原審控訴人本人)によれば,平成19年9月7日,控訴人が政務調査費により購入した本件各切手を当該年度ではなく,次年度に使用したことを認めた旨の報道がされたこと,そこで,事務局総務課長(以下「総務課長」という。)が,控訴人に対して事情聴取をしたところ,控訴人は,郵便の発送作業が遅れたが,出納整理期間内に発送すれば問題はないとの認識であったと回答したこと,同月11日,総務課長が控訴人に対して再度確認したところ,控訴人は,自己負担としていた郵送代を本件各切手を購入することにより精算したものであって問題はない旨の回答をしたこと,福岡市議会議長(議長)は,これに対して不適正な支出であって自主的に返還するよう控訴人に求めたこと,控訴人は,その後,事務局から収支報告書の収支を一致させるよう指導を受けたなどと主張するようになり,平成20年8月8日頃には,「平成16年度及び平成17年度における政務調査費の収支報告書の提出について」と題する書面(甲7,8)を議長宛てに提出して,本件各切手代とは別に,適正支出があり,政務調査費の収支報告書を増額修正してほしい旨主張するに至ったことが認められ,これらの事実によれば,そもそも控訴人が提出した収支報告書の内容は,控訴人の提出当時の認識と合致していたものであり,上記訂正を要する誤りがあったとは認められない上,控訴人は,本件各切手代を政務調査費から支出したことについて,議長から不適正支出であって自主的に返納するようにとの指摘を受けて1年近くたった後,収支報告書の支出の差し替えともいうべき訂正を求めているのであるから,上記政務調査費の制度の趣旨に照らして,このような訂正ができるものということはできない。
結局,平成16年度及び平成17年度における,控訴人が交付を受けた政務調査費の総額からその年度において市政の調査研究に資するため必要な経費として支出した総額を控除した金額は,本件各切手の購入代金と同額であり,控訴人は被控訴人に対し,同額の返還義務を負うというべきである。
(3) なお,控訴人は,控訴人が提出した本件各収支報告書の記載について,正確な記載ができない事情があった旨主張し,平成16年度及び平成17年度において,政務調査費の交付総額を上回る支出をしていたものの,事務局から,収支報告書の収支を一致するように指導されたために,やむなく本件各収支報告書に本件各切手代としてこれを記載したと主張するとともに,事務局から,収支報告書に添付する領収書等の合計金額は,政務調査費の交付総額を超えてはならないという指導を受けた旨の供述をする(原審控訴人本人9項)。
しかしながら,被控訴人はこれを否認しているところ,控訴人本人の上記供述を裏付ける客観的証拠はなく,また,一般に,領収書等の合計金額が交付総額と一致することはほとんどないのであるから,事務局がそのような,いわば無理を強いることをしたとするのは不自然の感を免れないし,平成16年4月5日に行われた,控訴人が当時所属していたB党福岡市議団の政務調査費に関する勉強会において,事務局が,収支報告書に併せて提出する領収書に記載された金額の合計が,政務調査費の交付総額を超えた場合でも,そのまま領収書を提出して差し支えない旨を説明していたこと(乙2)に照らしても,控訴人本人の上記供述は採用し難い。
なお,控訴人が,事務局職員の発言等を誤解し,収支報告書に添付する領収書等の合計金額は,政務調査費の交付総額を超えてはならないものと誤信して,本件各切手を購入し,これを収支報告書に記載したとしても,本件各収支報告書の記載内容を後に変更することが許されることにはならない。
(4) 以上から,争点2については,その判断の要を見ない。
2 争点3(本件相殺の有効性)について
(1) 本件相殺の自働債権である本件返還請求権の額は,本件各切手代に相当する残余金元本86万8450円である。
なお,被控訴人は,本件条例13条が残余金の具体的な弁済期を定めているという前提に立ち,上記残余金元本のほか,平成16年度の残余金43万6000円に対する同年度の収支報告書提出期限後である平成17年5月3日から本件命令の日である平成21年2月27日までの遅延利息(5%)及び平成17年度の残余金43万2450円に対する同年度の収支報告書提出期限後である平成18年5月2日から上記本件命令の日までの遅延利息(5%)についての各請求権があるとして,これを相殺の自働債権とするもののようであるが,本件条例13条の「速やかに市長に返還しなければならない」との規定文言のみによっては,残余金の具体的な弁済期が定まっていると解することは困難であるし,福岡市税外収入金の督促及び延滞金条例(乙13)の規定によれば,延滞金発生の前提として,市長は,納期限後20日以内に督促状を発しなければならない旨の規定が存するところ,本件全証拠によっても,被控訴人が,控訴人に対し,本件命令以前の時点で,かかる督促状を発した事実は認められないから,上記遅延利息が発生していたと認めるには足りない。
(2) 次に,本件相殺の有効性について見ると,本件相殺の受働債権である本件交付請求権,すなわち平成22年1月から3月分までの政務調査費の交付請求権については,相殺を禁止する旨の法規上の規定はないが,政務調査費の制度は,いわゆる地方分権一括法の施行により地方公共団体の自己決定権や自己責任が拡大し,その議会の担う役割がますます重要なものとなってきていることに鑑み,議会の審議能力を強化し,議員の調査研究活動の基盤の充実を図るため,議会における会派又は議員に対する調査研究の費用等の助成を制度化し,併せてその使途の透明性を確保しようとしたものであるから,その趣旨を損なうことなく運用されなければならない。
そこで,本件を見ると,政務調査費の交付が,地方自治法100条13項が定めるとおり,政務調査活動の費用の一部を交付するものにすぎず,政務調査費の相殺によっては,直ちに調査研究活動に支障を来すものとはいい難いこと,政務調査費は,その使用額のほか,使途の適合性や手続的要件を充たしているかといった審査を経て残余金があるときには,その返還が義務づけられていることに加え,本件相殺の自働債権が,平成21年2月27日にされた本件命令の対象である,被控訴人の控訴人に対する平成16年度政務調査費の残余金43万6000円及び平成17年度政務調査費の残余金43万2450円の返還請求を内容とするものである(本件返還請求権),他方,本件相殺の受働債権が,本件交付決定による平成21年の政務調査費312万円のうち,平成22年1月12日を交付日とする同年1月分から同年3月分までの78万円の交付請求権(本件交付請求権)であること,平成21年2月27日に本件相殺の通知がされたことが明らかであること等,その債権の性質,関連性,発生時期の接着性等にも照らすと,本件相殺は,控訴人に支給されるべき政務調査費の金額に関する調整的な意味合いを有するにとどまるのであって,政務調査費の制度の趣旨を損なうおそれがあるものということはできず,相殺として有効なものというべきである。これに反する控訴人の主張は採用することができない。
そうすると,平成22年1月12日の時点で,被控訴人は控訴人に対して合計86万8450円の残余金返還請求権を有していたものと認められるから,控訴人の被控訴人に対する78万円の本件交付請求権は,本件相殺により,全額について消滅したこととなる。
3 以上によれば,本件請求を認容した原判決は相当であり,本件控訴は理由がないから棄却することとして,主文のとおり判決する。
福岡高等裁判所第5民事部
裁判長裁判官西謙二
裁判官足立正佳
裁判官石山仁朗
(原裁判等の表示)
主文
1 原告の甲事件の請求に係る訴えをいずれも却下する。
2 原告の乙事件の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は,甲,乙事件とも原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 甲事件
(1) 主位的請求
被告が原告に対し,平成21年2月27日付けでした政務調査費交付金残余金101万2962円の返還命令決定処分を取り消す。
(2) 予備的請求
被告が原告に対し,平成21年2月27日付けでした政務調査費交付金残余金101万2962円の返還命令決定処分は無効であることを確認する。
2 乙事件
被告は,原告に対し,178万円及びこれに対する平成22年1月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要等
1 事案の概要
甲事件は,福岡市議会議員である原告が,市長が原告に対して平成21年2月27日付けでした平成16年度分及び平成17年度分の政務調査費の各残余金及びこれらに対する遅延利息の合計101万2962円の返還を求める旨の決定(以下「本件命令」という。)につき,いずれも残余金はないとして,主位的に本件命令の取消しを,予備的に本件命令の無効確認を求めた事案である。
乙事件は,原告が,被告に対して,政務調査費交付請求権に基づき,平成22年1月分から同年3月分までの政務調査費78万円及びこれに対する当該政務調査費の交付日である平成22年1月12日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに,被告が上記政務調査費を上記交付日に交付しなかったことにより,原告の調査研究活動が妨害されたなどとして,国家賠償法1条1項に基づき,慰謝料100万円及びこれに対する上記同日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
2 前提事実
(1) 関連法令等(公知の事実,乙1,同6,同11)
ア 地方自治法(平成20年法律第69条による改正前のもの。以下同じ。)
(ア) 100条13項
普通地方公共団体は,条例の定めるところにより,その議会の議員の調査研究に資するため必要な経費の一部として,その議会における会派又は議員に対し,政務調査費を交付することができる。この場合において,当該政務調査費の交付の対象,額及び交付の方法は,条例で定めなければならない。
(イ) 同条14項
前項の政務調査費の交付を受けた(中略)議員は,条例の定めるところにより,当該政務調査費に係る収入及び支出の報告書を議長に提出するものとする。
イ 福岡市政務調査費の交付に関する条例(平成16年3月29日条例第43号。以下「本件条例」という。)
(ア) 2条1項
政務調査費は,福岡市議会の会派(以下「会派」という。)並びに3条1項の規定により9万円の額を選択した会派に所属する議員及びいずれの会派にも所属しない議員に対して交付する。
(イ) 3条1項
会派に対し交付する政務調査費の月額は,35万円又は9万円の額のうちから各会派が選択した額に,当該会派の所属議員数を乗じて得た額とする。
(ウ) 同条2項
2条1項に規定する議員(以下「交付対象議員」という。)に対し交付する政務調査費の月額は,26万円とする。
(エ) 8条
(前略)交付対象議員は,政務調査費を別に定める使途基準に従って使用するものとし,市政に関する調査研究のため必要な経費以外のものに充ててはならない(以下,上記使途基準に適合する経費を「適正経費」という。)。
(オ) 9条2項
交付対象議員は,交付を受けた政務調査費の経理を明確に行わなければならない。
(カ) 11条1項
政務調査費の交付を受けた(中略)交付対象議員は,別に定める様式により,政務調査費に係る収入及び支出の報告書(以下「収支報告書」という。)を作成し,議長に提出しなければならない。
(キ) 同条2項
収支報告書は,前年度の交付に係る政務調査費について,毎年4月30日までに提出しなければならない。
(ク) 12条1項
政務調査費の交付を受けた(中略)交付対象議員は,政務調査費の収支を明らかにした会計帳簿を備えるとともに,領収書等の証拠書類を整理し,これらの書類を当該政務調査費に係る収支報告書の提出期限の日の翌日から起算して5年を経過する日まで保管しなければならない。
(ケ) 同条2項
政務調査費の交付を受けた議員は,前項の領収書等の証拠書類であって1件当たり5万円以上の支出に係るものの写しを,(中略)収支報告書と併せて提出しなければならない。
(コ) 13条
(前略)交付対象議員は,その年度において交付を受けた政務調査費の総額から,(中略)交付対象議員がその年度において市政の調査研究に資するため必要な経費として支出した総額を控除して残余がある場合は,これを速やかに市長に返還しなければならない。
(サ) 14条1項
議長は,11条1項の規定により提出された収支報告書及び12条2項の規定により提出された領収書等の証拠書類の写しを,提出期限の日の翌日から起算して5年を経過する日まで保存しなければならない。
(シ) 同条2項
何人も,議長に対し,前項の収支報告書の閲覧を請求することができる。
ウ 福岡市政務調査費取扱要領(平成16年4月1日から平成19年3月31日まで施行されていたもの。以下「本件要領」という。)
(ア) 4条
政務調査費の支出手続は,次の各号に掲げるとおりとする。
a 4号
(前略)議員は,政務調査費の出納を管理し,金銭出納簿の記載や支出の根拠となるべき領収書,証票類を常に整理しておくものとする。
b 5号
政務調査費の保管については,専用の預金口座を備えるものとする。
(イ) 6条1項
議長は,本件条例11条1項及び12条2項の規定により提出された収支報告書及び領収書等の証拠書類の写しの内容を検査し,必要があると認めるときは,(中略)議員に対し,関係書類の提出を求めることができる。
(ウ) 同条2項
議長は,関係書類等の処理に不適切なものがあると認めたときは,(中略)議員に対し,その修正を命ずることができる。
(2) 市長は,平成16年4月1日,原告に対する平成16年度の政務調査費312万円(月額26万円の12か月分)の交付決定をし,原告に対し,平成17年1月11日までに合計312万円を交付した。
(争いがない事実,乙12)
(3) 原告は,平成17年3月31日までの間に,交付を受けた政務調査費のうち,43万6000円を除き,適正経費に支出した。その上で,原告は,同日,郵便局において,43万6000円分の切手を購入し,「福岡市議会C」宛ての領収証書を受領し,政務調査費の収支について備え付けていた会計帳簿にその旨の記載をした。
そして,原告は,同年4月18日,福岡市議会議長(以下「議長」という。)に対し,次の内訳の平成16年度の収支報告書(以下「平成16年度収支報告書」という。)を提出した。原告がイ(ウ)の諸事務費として記載した費用は,上記切手の購入代金であったが,原告は,平成16年度内には上記切手を使用しなかった。
ア 収入合計312万0003円
(ア) 政務調査費交付金312万0000円
(イ) 預金利息3円
イ 支出合計312万0000円
(ア) 広報広聴費52万4000円
(イ) 補助員等雇用費216万0000円
(ウ) 諸事務費(切手)43万6000円
ウ 残余金3円
(争いがない事実,甲3,同5の1及び16,原告本人)
(4) 市長は,平成17年4月1日,原告に対する平成17年度の政務調査費312万円(月額26万円の12か月分)の交付決定をし,原告に対し,平成18年1月10日までに,合計312万円を交付した。
(争いがない事実)
(5) 原告は,平成18年3月31日までの間に,交付を受けた政務調査費のうち,43万2450円を除き,適正経費に支出した。その上で,原告は,同日,D郵便局において,20万2450円分,同日,E郵便局で23万円分の各切手を購入し,「福岡市議会C」宛ての領収証書を受領し,政務調査費の収支について備え付けていた会計帳簿にその旨の記載をした。原告は,同年4月28日,議長に対し,次の内訳の平成17年度の収支報告書(以下「平成17年度収支報告書」といい,平成16年度収支報告書と併せて「本件各収支報告書」という。)を提出した。原告がイ(ウ)の諸事務費として記載した費用のうち,43万2450円は,上記切手の購入代金であったが,原告は,平成17年度内には上記切手を使用しなかった。
ア 収入合計312万0000円
(ア) 政務調査費交付金312万0000円
(イ) 預金利息6円
イ 支出合計312万0000円
(ア) 広報広聴費50万0000円
(イ) 補助員等雇用費216万0000円
(ウ) 諸事務費(切手)46万0000円
ウ 残余金6円
(争いがない事実,甲3,同6の1及び15,16,原告本人)
(6) 原告は,その後,報道機関の取材に対し,平成16年度収支報告書に記載された43万6000円分の切手及び平成17年度収支報告書に記載された切手のうち43万2450円分(以下「本件各切手」という。)について,いずれも当該年度内に使用されたものではないと回答し,このことは平成19年9月7日付けの新聞記事に掲載された。
(乙5,同16)
(7) 市長は,本件各切手がいずれも当該年度内に使用されたものでないことから,本件各切手の購入代金は適正経費に該当しないと判断し,平成21年2月27日,原告に対して,平成16年度政務調査費の残余金43万6000円及びこれに対する平成17年5月3日から平成21年2月27日まで年5分の割合による遅延利息(総額51万9377円),並びに,平成17年度政務調査費の残余金43万2450円及びこれに対する平成18年5月2日から平成21年2月27日まで年5分の割合による遅延利息(総額49万3585円)の合計101万2962円の返還を求める旨の決定をした(本件命令)。
(争いがない事実,甲3)
(8) 市長は,平成21年4月1日,原告に対する同年度の政務調査費312万円(月額26万円の12か月分)の交付決定(以下「本件交付決定」という。)をした。
(甲18の2)
(9) 原告は,同年6月15日,本件命令の取消しを求める訴えを提起した(甲事件)。
(顕著な事実)
(10) 市長は,平成22年1月12日,原告に対し,被告が原告に対して有する残余金101万2962円の返還請求権(以下「本件返還請求権」という。)を自働債権とし,原告が被告に対して有する,同日を交付日とする同年1月分から同年3月分までの政務調査費78万円の交付請求権(以下「本件交付請求権」という。)を受働債権として,これらを対当額で相殺する旨を通知した(以下「本件相殺」という。)。
(甲10,同11)
(11) 原告は,同年1月18日,政務調査費78万円の交付等を求める訴えを提起した(乙事件)。
(顕著な事実)
3 争点及び当事者の主張
(1) 本件命令の行政処分性等(本案前の争点-争点1)
ア 原告の主張
本来,政務調査費の返還請求については,任意の催告又は民事訴訟によるべきであるが,被告は,本件命令を行い,これに基づいて,本件相殺を行うなどしているから,本件命令を取り消す必要がある。
仮にそうでないとしても,本件命令は法律上の根拠を欠き,無効であり,被告は,本件相殺後の残額についても相殺を予定しているので,無効確認の利益がある。
イ 被告の主張
(ア) 市長は,政務調査費に係る予算執行上の責任者として,交付対象議員から提出を受けた収支報告書の記載内容の審査及び確認を行い,条例を根拠とする優越的地位に基づき,当該議員の本件条例13条に基づく残余金の返還義務を具体的に発生させ,その範囲ないし内容を一方的に確定するのであるから,市長の返還命令は行政処分と解すべきである。また,政務調査費は,市長が行政処分である交付決定を行うことによって支給されるが,当該年度の政務調査費の交付総額及び残余金の額は,市長が,交付対象議員から提出を受けた収支報告書の記載内容を審査及び確認するという精算行為によって確定するものであるから,返還命令は,交付決定の当初から予定されている行政処分であり,両者は政務調査費交付制度上不可分一体の関係にある。
さらに,政務調査費は,公益を目的として公金より支出されるという点において補助金類似の性格を有するのみならず,地方議会の構成員たる議員という身分に付随して交付されるため極めて公的性格の高い特別な助成金であることからすると,その使途の透明性を確保し,適正な運用を図っていくことがより強く要請されるから,政務調査費に係る予算執行上の責任者である市長に,返還命令権限を付与することが必要かつ合理的である。
(イ) 無効確認請求については,原告は,行政事件訴訟法36条に規定する原告適格を有せず,訴えの利益もないから不適法である。
(2) 残余金の有無及び額の判断基準(争点2)
ア 原告の主張
(ア) 交付対象議員は,政務調査費の交付総額から,収支報告書の支出欄に記載のないものを含めた適正経費の総額を控除して残余がある場合に限り,その返還義務を負う。
このことは,地方自治法100条13項が,政務調査費を,議員の調査研究に資するために必要な経費の一部として定めていることからも明らかである。
(イ) 原告は,後記(3)アのとおり,平成16年度及び平成17年度において,本件各切手代を除いても,いずれも年間312万円を上回る適正経費を支出していた。
原告は,福岡市議会事務局(以下「事務局」という。)から,収支報告書の収支を一致させるように指導を受けたところ,収支が一致する適正経費がなかったため,やむなく本件各切手を購入し,収支を一致させて,本件各収支報告書を提出したのである。
このように,本件各収支報告書の記載内容には誤りがあるから,訂正が認められるべきである。
イ 被告の主張
交付対象議員は,政務調査費の交付総額から,収支報告書の支出欄に記載された適正経費の総額を控除して残余がある場合に,残余金返還義務を負うのであり,収支報告書の提出期限を過ぎた後に,その支出欄を増額修正することはできない。
理由は以下のとおりである。
(ア) 政務調査費の支出対象は,当該年度に議員が実施した調査研究活動に要する経費であり,収支報告書の提出期限の経過により政務調査費の交付額が確定した後において,収支報告書の支出欄を増額修正することは,制度上認められない。
(イ) 原告の主張は,政務調査費の交付額確定後になって,不適正支出が判明したことを契機として,当初の自らの充当判断を覆し,既に特定されている個別の支出内容を後になって差し替えることにより,不適正支出相当額の返還を免れようとするものであり,政務調査費制度の透明性及び公正性を害する。
(ウ) 政務調査費の支出の増額修正を認めると,消滅時効にかかるまでの5年間は,収支報告書の増額修正がある毎に,議長が支出内容の確認・検査を行わなければならず,時間の経過等により正確な事実関係の把握が困難であるし,長期間にわたって交付額が確定しない不安定な状態となり,制度の適正かつ円滑な運用に支障が生じる。
(3) 原告主張に係る適正経費の支出の有無(争点3)
ア 原告の主張
平成16年度及び平成17年度における政務調査費の収支は,正しくは以下のとおりである。
(ア) 平成16年度
a 収入合計312万0003円
(a) 政務調査費交付金312万0000円
(b) 預金利息3円
b 支出合計446万5025円
(a) 資料購入費合計10万9380円
(b) 広報広聴費合計54万6050円
(c) 補助員等雇用費合計252万0000円
(d) 調査旅費合計6万0000円
(e) 事務所費合計12万0000円
(f) 諸事務費合計110万9595円
c 不足金134万5022円
(イ) 平成17年度
a 収入合計312万0006円
(a) 政務調査交付金312万0000円
(b) 預金利息6円
b 支出合計442万8205円
(a) 資料購入費合計10万9380円
(b) 広報広聴費合計52万7550円
(c) 補助員等雇用費合計252万0000円
(d) 調査旅費合計6万0000円
(e) 事務所費合計12万0000円
(f) 諸事務費合計109万1275円
c 不足金130万8199円
イ 被告の主張
仮に,政務調査費の支出の増額修正が認められるとしても,原告主張に係る支出は,適正経費の支出とは認められない。
(ア) 補助員等雇用費について
補助員等雇用費は,原告が提出した平成16年度から平成19年度の収支報告書においては,いずれも216万円(月額18万円の給与で補助員1人を12か月雇用)と計上されていたが,平成20年8月8日に示された新たな収支報告書において,平成16年度及び平成17年度の補助員等雇用費のみが,252万円(月額21万円の給与で補助員1人を12か月雇用)に増額して計上されており,不自然である。
(イ) 事務所費及び調査旅費について
平成16年度及び平成17年度の事務所費,調査費及び諸事務費(自動車ガソリン代)については,領収書が提出されておらず,客観的に証明されているとはいえない。
また,いずれの年度も,当該事務所費の支出に当たり必要となる本件要領3条7号所定の「事務所設置届」が原告から議長に提出されておらず,政務調査費の事務所費の支出に必要な手続がとられていない。
(ウ) 諸事務費について
諸事務費のうち,郵便料金については,郵便局の正規の領収書が提出されていない。
(4) 本件相殺の有効性(争点4)
ア 被告の主張
本件命令により,本件返還請求権が具体的に発生したものと認められる。仮に,本件命令に処分性がないとしても,本件条例13条を直接の根拠として,政務調査費の残余額の返還義務が発生しており,本件各収支報告書の提出期限がその弁済期になるものと解されるから,本件返還請求権の発生が認められる。
そして,本件交付請求権と本件返還請求権は,いずれも政務調査費交付制度に関するものであり,同種の実体関係に基づく債権であるから,相殺を認めたとしても一方当事者に不利益・不公平にはならないし,法令上,相殺は禁止されていないから,本件相殺は有効である。
イ 原告の主張
前記(2)及び(3)のとおり,原告は残余金返還義務を負わないから,本件相殺は無効である。
また,本件交付請求権が相殺されると,原告は,政務調査費交付金の支給を受けられず,調査研究活動を行えなくなるから,本件相殺は,原告の調査研究活動を妨害するものであって許されない。
(5) 国家賠償法上の違法性の有無(争点5)
ア 原告の主張
前記(4)イのとおり,本件相殺は無効であるから,被告が平成22年2月12日に政務調査費78万円を交付しなかったことは違法である。原告は,被告の上記違法行為によって,調査研究活動を妨害され,また,本件相殺があたかも有効であるかのような報道がなされたために名誉を著しく毀損された。
これによって原告が受けた精神的損害に対する慰謝料としては100万円が相当である。
イ 被告の主張
前記(4)アのとおり,本件相殺は有効であるから,被告が政務調査費78万円を交付しなかったことは違法ではない。
第3 当裁判所の判断
1 争点1(本件命令の行政処分性)について
(1) 判断
原告が本件命令の取消し又は無効確認を求めるためには,本件命令が「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」に該当することを要する(行訴法3条2項,同条4項)ところ,ここでいう「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」とは,公権力の主体たる国又は公共団体が行う行為のうち,その行為によって,直接国民の権利義務を形成し又はその範囲を確定することが法律上認められているものをいうと解される(最高裁昭和39年10月29日第一小法廷判決・民集18巻8号1809頁参照)。これを本件についてみると,地方自治法及び本件条例上,市長の返還命令に関する規定は存在しないし,本件条例13条は,「交付対象議員は,その年度において交付を受けた政務調査費の総額から,(中略)交付対象議員がその年度において市政の調査研究に資するため必要な経費として支出した総額を控除して残余がある場合は,これを速やかに市長に返還しなければならない。」と規定して,市長の返還命令などといった特別な手続を経ることなく,交付対象議員の残余金返還義務を一般的に生じさせる旨規定しているものと考えられる。
また,市長の返還命令があったとしても,残余金返還義務の有無及び額を確定するなどの効力があると解するべき根拠は法及び条例上見当たらないし,これによって,滞納処分による強制執行を行い得るというような効果が生じる旨の法的根拠も見当たらない。
そうすると,本件命令は,法令上の直接の根拠を有するものではなく,また,法律効果としても,原告に対して,被告が当該返還命令に係る金額の本件条例13条の規定する残余金債権を有する旨の認識を持っている旨の観念の通知をし,その支払を催告する効力を有するにすぎないというべきであり,公定力を有するものとは解されず,市長の返還命令を受けた交付対象議員は,行政訴訟によって,その取消等を求めるまでもなく,直ちに民事訴訟手続において残余金返還義務の不存在を主張して救済を求めることができるものと解され,本件命令は,「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」に該当しないというべきである。
そうだとすれば,甲事件に係る原告の各訴えは,その余の点について判断するまでもなく,いずれも不適法であるから却下を免れない。
(2) 原告の主張に対する判断
原告は,本件命令により相殺等が行われていること等を理由に,本件命令の取消,無効確認を求める必要があるとし,本件命令により原告の法的地位が不安定となっている旨主張するものと解され,確かに,本件命令は,行政処分の体裁で原告に送付されているから(甲3),原告がそのように受け止めることも無理はないともいえる。
しかしながら,前記判断のとおり,本件命令は,直接国民の権利義務を形成し又はその範囲を確定することが法律上認められているものに該当するとはいえず,原告は政務調査費の残余金返還義務の有無,金額について紛争があるときは,本件命令の有無にかかわらず,民事訴訟において,救済を受ける機会を与えられているものと解されるから,原告の上記主張は採用できない。
また,原告は,本件命令は,法律上の根拠を欠き,無効である等ともいうが,行政事件訴訟法上の無効確認訴訟は,その対象となる行為が行政処分であることを要するのであり,本件命令が行政処分性を欠く以上,不適法といわざるを得ない。
(3) 被告の主張に対する判断
ア 被告は,本件命令の行政処分性を争わず,むしろ,交付対象議員から収支報告書の提出を受けた市長が,その記載内容の審査及び確認を行い,条例に基づく優越的地位に基づき,交付対象議員の残余金返還義務を具体的に発生させ,その範囲ないし内容を一方的に確定するのであるから,市長の返還命令は行政処分と解すべきであると主張する。
しかしながら,行政処分性については自白の対象となるものではなく,上記(1)のとおり,地方自治法及び本件条例には,市長の返還命令の根拠となる規定が存しないのみならず,本件条例の施行規程(乙4)や本件要領を併せ見ても,返還命令の前提となる市長による収支報告書の審査に関する規定や,返還命令の効力等に関する規定が何ら存しないのであるから,本件条例が,政務調査費の残余金の返還に関して,市長に優越的地位を付与していると認めることはできず,被告の主張は採用できない。
イ また,被告は,各年度の政務調査費の交付総額及び残余金の有無ないし額は,市長の精算行為によって確定するから,市長の返還命令は,交付決定の当初から予定されている行政処分であり,両者は政務調査費交付制度上不可分一体の関係にあると主張する。
しかしながら,前記前提事実記載のとおり,議員に対する政務調査費の交付額は,本件条例3条で,一律月額26万円(年額312万円)と定められているから,市長の交付決定によって政務調査費の交付額は確定するのであるし,本件命令も,平成16年度,平成17年度の政務調査費について,平成21年に行われているのであり,政務調査費の交付を受けたすべての交付対象議員について,収支報告書の提出後間もなく,精算行為を行って,残余金の有無及びその範囲を確定する等の手続が行われているといった事実も認められない。
また,仮に返還命令が精算行為の意味を有するものとすると,いったん返還命令がなされた後に,適正経費に当たらない他の支出が判明したような場合には,さらなる残余金の返還はもはや求め得ないということになると考えられるが,このことも妥当性を欠くというべきである。
以上からすれば,市長の交付決定と返還命令とが不可分一体の関係にあると解すべき理由はなく,被告の上記主張も採用できない。
ウ さらに,被告は,政務調査費は,その使途の透明性を確保し,適正な運用を図っていくことが強く要請されるから,政務調査費に係る予算執行上の責任者である市長に,返還命令権限を付与することが必要かつ合理的である旨の主張をする。
しかしながら,上記(1)のとおり,被告は,交付対象議員に対して不当利得返還請求訴訟を提起するなどして,残余金を回収することができるのであるから,市長に返還命令権限が付与されていると解さなければ,政務調査費の使途の透明性を確保するという目的が達せられないとはいえないし,また,仮に,市長に返還命令権限を付与することが上記目的を達するのに合理的であるとしても,それはどのような条例を制定するのが適当かという問題であって,現行の本件条例の解釈とは区別して考えるべき問題である。
したがって,被告の上記主張もこれを採用することができない。
2 争点2(残余金の有無及び額の判断基準)について
(1) 判断
交付対象議員の残余金返還義務について規定した本件条例13条は,「交付対象議員は,その年度において交付を受けた政務調査費の総額から,(中略)交付対象議員がその年度において市政の調査研究に資するため必要な経費として支出した総額を控除して残余がある場合は,これを速やかに市長に返還しなければならない。」と定めているところ,上記にいう「交付対象議員がその年度において市政の調査研究に資するため必要な経費として支出した総額」の意義が問題となる。
この点,本件条例及び関係法規の規定において,交付を受けた政務調査費から支出するものかどうかは留保し,後に,年度末等において,政務調査費に充当する支出を選択することが許される旨の規定はない。
かえって,本件条例上,交付対象議員は,政務調査費の収支を明らかにした会計帳簿を備え,領収書等の証拠書類を整理するなどして,政務調査費の経理を明確に行わなければならないこと(9条2項,12条1項),本件要領には,交付対象議員は,政務調査費の出納を管理し,金銭出納簿の記載や支出の根拠となるべき領収書,証票類を常に整理しておくべきこと,政務調査費の保管については,専用の預金口座を備えるものとすること(4条)が定められており,これらの規定,なかんずく,帳簿作成については,支出の都度作成することが当然予定されるものであることからすれば,交付対象議員が交付を受けた政務調査費は,自己の財産とは別口座で管理し,支出の都度,政務調査費から支出することを明確にして,会計帳簿に記載することが要求されているものであり,「交付対象議員がその年度において市政の調査研究に資するため必要な経費として支出した」といい得るには,単に,使途基準に合致していれば足りるものとは解されず,その支出の時に,交付を受けた政務調査費から支出する意思をもってなされることを要するものと解するべきである。
ところが,原告は,前記前提事実(3)及び(5)のとおり,各年度の末日に,切手を購入して,「福岡市議会C」宛ての領収証書を受領し,その旨,備え付けていた政務調査費の帳簿に記載し,これを議長に提出する収支報告書に転記して提出しているのであり,その意思が,交付を受けた政務調査費から上記切手の購入代金を支出することにあったことは明らかであり,原告はその余の政務調査費については特に問題なく支出していたことが窺われ,年度の各末日に切手代金として,政務調査費の残額をほとんど(残余はいずれも数円)使い切っていることからすれば,原告が切手代金に代わるものとして本件において主張しているその余の費用について,政務調査費から支出する意思がなかったことは明らかである。
そして,上記切手代金が政務調査費としての適正経費に該当しないことは当事者間に争いがないから,平成16年度及び平成17年度における,原告が交付を受けた政務調査費の総額からその年度において市政の調査研究に資するため必要な経費として支出した総額を控除した金額は,上記切手購入代金と同額であり,原告は被告に対し,同額の返還義務を負うというべきである。
なお,被告は,上記に関し,収支報告書の提出までは,どの支出を政務調査費から支出したものかどうかを交付対象議員が決定し得るとの趣旨の主張をしているが,この主張が,被告における収支報告書等の審査上,支出時にさかのぼった審査が事実上できないことに言及したものであれば,これを首肯することができるが,支出時に政務調査費から支出する意思があったかどうかを不問とし,帳簿等も後にまとめて記載するような取扱いを是認するものであれば,本件条例の趣旨に反し,適切でないといわざるを得ない。
(2) 原告の主張について
ア 原告は,地方自治法100条13項が,政務調査費を,議員の調査研究に資するために必要な経費の「一部」として定めていることを理由に,交付対象議員が残余金返還義務を負うのは,政務調査費の交付総額から,収支報告書への記載の有無等を問わず,適正経費の支出の総額を控除して残余がある場合に限られると主張する。
しかし,上記条項は,議員の調査研究活動の費用が,普通地方公共団体から支給される政務調査費のみならず,それ以外の原資からも賄われるのがむしろ通常であり,その全額を交付することも,また,交付金額に調査研究活動を制限することも相当でないことから,政務調査費を「必要な経費の一部」と定めたにすぎないものと解され,当該文言をもって直ちに残余金の有無及び額の判断基準が導かれるものではない。
そして,前記(1)に述べた本件条例等の規定に加え,政務調査費が公金から支出されるものであり,交付対象議員がこれを支出するに際しては公私混同を避け,厳正に行うべきであることからすれば,政務調査費から支出するものか,本来の自己の財産から支出するものかを明確にすべきであるというのが,本件条例の制定趣旨であると考えられるのであり,およそ使途基準に該当する支出があれば足りるとする原告の上記主張は採用することができない。
イ 原告は,収支報告書の記載内容に誤りがある場合には,当然訂正が認められるべきである旨主張する。
しかしながら,前記認定事実によれば,原告が提出した収支報告書の内容は,原告の提出当時の意思と合致していたものであり,誤りがあったとは認められない。
また,原告の上記主張を,経費の適格性に基づく錯誤があった場合には,訂正が認められるべきであるとの主張と解するとしても,当該年度内に適正でないことが判明した経費への支出について自己の財産をもって補填し,改めて政務調査費の中から適正な支出を行ったような場合には格別,前記の本件条例の趣旨からすれば,後になって,政務調査費から支出する意思のなかった支出を,政務調査費から支出したことにするなどとして差し替えを行うようなことは,許されないものと解するべきである。なお,前記(1)のような見地からすれば,政務調査費から支出する意思で,適正経費の支出がなされたのに,誤記その他の理由により,これと異なる収支報告書の記載をしてしまったような場合には,交付対象議員は,そのことを帳簿及び領収書等によって証明し,収支報告書を訂正することも許されると解されるが,本件においては,原告が切手代金に代わるものとして支出したと主張する経費は,政務調査費から支出する意思でなされたものではないことが明らかであるから,上記の場合には該当しないというべきである。
また,本件条例上,会計帳簿等が,収支報告書の提出期限の日の翌日から5年間保管されることとなっているが(12条1項),これは,交付対象議員に対し,会計帳簿等の保管義務を課すことで,収支報告書の記載内容の正確性を担保しようとしたものであって,会計帳簿の保管期間内であれば,収支報告書の記載内容を変更できるという趣旨でないことは明らかである。
ウ 原告は,平成16年度及び平成17年度において,政務調査費の交付総額を上回る支出をしていたものの,事務局から,収支報告書の収支を一致するように指導されたために,やむなく本件各収支報告書に本件各切手代を記載したと主張するとともに,事務局から,収支報告書に添付する領収書等の合計金額は,政務調査費の交付総額を超えてはならないという指導を受けた旨の供述をする(原告本人9項)。
しかしながら,原告本人の上記供述を裏付ける客観的証拠は見当たらず,被告はこれを否認しており,また,一般に,領収書等の合計金額が交付総額と一致することはほとんどないのであるから,事務局がそのような無理を強いていたとするのは不自然の感を免れないし,事務局は,平成16年4月5日,原告がその当時に所属していたB党福岡市議団の政務調査費に関する勉強会において,収支報告書に併せて提出する領収書に記載された金額の合計が,政務調査費の交付総額を超えた場合でも,そのまま領収書を提出して差し支えない旨を説明していたこと(乙2)に照らしても,原告本人の上記供述は採用し難い。
なお,原告が,事務局職員の発言等を誤解し,収支報告書に添付する領収書等の合計金額は,政務調査費の交付総額を超えてはならないものと誤信して,本件各切手を購入し,これを収支報告書に記載した可能性は否定できないものの,仮にそうであったとしても,原告が本件各切手の代金を政務調査費から支出する意思でこれを支払った事実を左右するものではなく,本件各収支報告書の記載内容を後に変更することが許されることにはならない。
3 争点4(本件相殺の有効性)について
(1) 自働債権の額
前記2(1)のとおり,原告が返還すべき残余金元本の額は,本件各切手代合計86万8450円である。
なお,被告は,本件条例13条が残余金の具体的な弁済期を定めているという前提に立ち,上記残余金元金のほか,平成16年度の残余金43万6000円に対する平成17年5月3日から本件命令の日である平成21年2月27日までの遅延利息(5%)及び平成17年度の残余金43万2450円に対する平成18年5月2日から上記本件命令の日までの遅延利息(5%)についての各請求権があるとして,これを相殺の自働債権とするもののようであるが,本件条例13条の「速やかに市長に返還しなければならない」との規定文言のみによっては,残余金の具体的な弁済期が定まっていると解することは困難であるし,福岡市税外収入金の督促及び延滞金条例(乙13)の規定によれば,延滞金発生の前提として,市長は,納期限後20日以内に督促状を発しなければならない旨の規定が存するところ,本件全証拠によっても,被告が,原告に対し,本件命令以前の時点で,かかる督促状を発した事実は認められないから,上記遅延利息が発生していたと認めるには足りない。
(2) 本件相殺の有効性
前記のとおり,平成22年1月12日の時点で,被告は原告に対して合計86万8450円の残余金返還請求権を有していたものと認められるから,原告の被告に対する78万円の本件交付請求権は,本件相殺により,全額について消滅したこととなる。
これに対し,原告は,本件相殺は原告の調査研究活動を妨害するものであって許されない旨の主張をする。
しかしながら,政務調査費の交付請求権について,相殺を禁止する旨の法規上の規定はない。
また,もともと,政務調査費は,議員の調査研究費の一部であると位置付けられているものであり,政務調査費の交付請求権を受働債権とする相殺を受けた場合であっても,当該議員が政務調査費以外の原資によって,調査研究活動を行うことには何らの制約も存しない。
さらに,原告は上記残余金返還請求権の返還を免れていたことからすれば,同額の経済的利益を保持していたものと評価すべきであり,相殺により同利益が消滅したとしても,本来あるべき経済的状態に復帰したにすぎないから,調査研究活動に支障があると評価することはできず,原告の上記主張は採用できない。
4 争点5(国家賠償法上の違法性の有無)について
前記4のとおり,原告の本件交付請求権は本件相殺により消滅したから,被告が政務調査費78万円を交付しなかったことは,国家賠償法上,何ら違法とはいえない。
5 結論
以上によれば,原告の甲事件の請求に係る訴えは不適法であるからいずれも却下することとし,原告の乙事件の請求は理由がないからいずれも棄却することとして,主文のとおり判決する。
福岡地方裁判所第3民事部
裁判長裁判官 増田隆久
裁判官 橋爪信
裁判官 關隆太郎
出典:裁判所ウェブサイト「裁判例検索」(https://www.courts.go.jp/hanrei/82136/detail5/index.html)。本文は同サイト掲載の判決書PDFからTaiLexi AIがテキスト化・整形したもの(正確な文言は原本PDFを参照)。判示事項・裁判要旨・参照法条は裁判所の公表どおり。