主文
1 被告法人及び被告Aは、原告に対し、連帯して、55万円及びこれに対する令和3年7月28日から支払済みまで年3%の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、これを10分し、その9を原告の負担とし、その余を被告法人及び被告Aの連帯負担とする。
4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
1⑴被告法人及び被告Aは、原告に対し、連帯して、220万円及びこれに対する令和3年3月10日から支払済みまで年3%の割合による金員(ただし、⑵の限度で被告Bと、⑶の限度で被告Cとそれぞれ連帯して)を支払え。⑵被告Bは、原告に対し、被告法人及び被告Aと連帯して、110万円及びこれに対する令和3年3月10日から支払済みまで年3%の割合による金員を支払え。
⑶被告Cは、原告に対し、被告法人及び被告Aと連帯して、55万円及びこれに対する令和3年3月10日から支払済みまで年3%の割合による金員を支払え。
2⑴主位的請求
ア 被告法人及び被告Aは、原告に対し、連帯して、330万円及びこれに対する平成29年8月12日から支払済みまで年5%の割合(ただし、イの限度で被告Bと、ウの限度で被告Cとそれぞれ連帯して)による金員を支払え。
イ 被告Bは、原告に対し、被告法人及び被告Aと連帯して、165万円及びこれに対する平成29年8月12日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
ウ 被告Cは、原告に対し、被告法人及び被告Aと連帯して、82万5000円及びこれに対する平成29年8月12日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
⑵⑴の予備的請求1
ア 被告法人及び被告Aは、原告に対し、連帯して、330万円及びこれに対する平成29年8月12日から支払済みまで年5%の割合(ただし、イの限度で被告Bと、ウの限度で被告Cとそれぞれ連帯して)による金員を支払え。
イ 被告Bは、原告に対し、被告法人及び被告Aと連帯して、165万円及びこれに対する平成29年8月12日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
ウ 被告Cは、原告に対し、被告法人及び被告Aと連帯して、82万5000円及びこれに対する平成29年8月12日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
⑶⑴の予備的請求2
ア 被告法人及び被告Aは、原告に対し、連帯して、330万円及びこれに対する平成30年1月11日から支払済みまで年5%の割合(ただし、イの限度で被告Bと、ウの限度で被告Cとそれぞれ連帯して)による金員を支払え。
イ 被告Bは、原告に対し、被告法人及び被告Aと連帯して、165万円及びこれに対する平成30年1月11日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
ウ 被告Cは、原告に対し、被告法人及び被告Aと連帯して、82万5000円及びこれに対する平成30年1月11日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
⑷⑴の予備的請求3
ア 被告法人及び被告Aは、原告に対し、連帯して、204万6000円及びこれに対する令和2年10月21日から支払済みまで年3%の割合(ただし、イの限度で被告Bと、ウの限度で被告Cとそれぞれ連帯して)による金員を支払え。
イ 被告Bは、原告に対し、被告法人及び被告Aと連帯して、102万3000円及びこれに対する令和2年10月21日から支払済みまで年3%の割合による金員を支払え。
ウ 被告Cは、原告に対し、被告法人及び被告Aと連帯して、51万1500円及びこれに対する令和2年10月21日から支払済みまで年3%の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1⑴原告は、平成29年2月22日から令和3年7月28日まで被告法人の運営するD(以下「被告病院」という。)に入院していた(以下「本件入院」という。)。本件入院の当時、亡Eは、被告法人の理事であり、被告法人を代表する理事長であった者であり、被告Aは、被告病院の管理者として同病院の院長の職にあった者である。
⑵上記第1の1の請求(以下「本件請求1」という。)は、原告において、被告病院が原告を監禁したなどと主張して、被告Aに対しては不法行為に基づき、亡Eに対しては不法行為又は医療法48条1項に基づき、被告法人に対しては使用者責任又は医療法46条の6の4、一般社団法人及び一般財団法人に関する法律(以下「一般社団法人法」という。)78条に基づき、損害賠償の請求をするとともに、不法行為が開始された日である令和3年3月10日から支払済みまで民法所定の年3%の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
⑶ア上記第1の2の請求(以下「本件請求2」という。)のうち⑴の請求は、原告において、被告病院が原告に対する退院支援義務を怠ったなどと主張して、被告A及び亡Eに対しては不法行為に基づき、被告法人に対しては使用者責任又は医療法46条の6の4、一般社団法人法78条に基づき、損害賠償の請求をするとともに、遅くともその日までには不法行為が成立していた日である平成29年8月12日から支払済みまで民法(平成29年法律第44号による改正前のもの)所定の年5%の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
イ 本件請求2のうち⑵~⑷の各請求は、同⑴の予備的請求であり、いずれも、原告において、被告病院が原告による精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(以下「精神保健福祉法」という。)21条2項の「退院の申出」に適切に対応する義務を怠ったなどと主張して、被告A及び亡Eに対しては不法行為に基づき、被告法人に対しては使用者責任又は医療法46条の6の4、一般社団法人法78条に基づき、損害賠償の請求をするとともに、それぞれ「退院の申出」をしたとされる日から支払済みまで、民法(各起算日の時点で施行されていたもの)所定の年5%又は年3%の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
⑷なお、亡Eは、本件訴訟係属後である令和6年6月25日に死亡し、その法定相続人である、妻の被告B並びに子の被告A及び被告Cが、亡Eの訴訟上の地位を承継した。
2 前提事実(当事者間に争いのない事実)
⑴当事者等
ア 原告は、昭和▲年▲月▲日生まれの女性であり、生活保護を受給しながら、a市内のグループホームで単身生活をしている者である。
原告は、被告病院に対する4回目の入院として、平成29年2月22日から令和3年7月28日まで被告病院に入院していた(本件入院)。
イ 被告法人は、b市内において精神科病院であるD(被告病院)を運営する医療法人社団である。
ウ 亡Eは、本件入院の当時、被告法人の理事であり、被告法人を代表する理事長であった者であるが、令和6年6月25日に死亡した。その法定相続人(法定相続分)は、妻の被告B(2分の1)並びに子の被告A及び被告C(各4分の1)である。
エ 被告Aは、精神科の医師であり、本件入院の当時、被告病院の管理者として同病院の院長の職にあった者であるが、亡Eの死亡後、被告法人を代表する理事長である者である。
オ F医師(以下「F医師」という。)は、本件入院の当時、被告法人の被用者であり、被告病院において原告の主治医であった者である。⑵原告は、平成29年2月22日、被告病院に、精神保健福祉法20条、21条1項に基づく任意入院をした。
⑶F医師は、平成29年6月21日及び同年7月12日、原告についてのケースカンファレンスを実施した。
⑷原告は、平成30年1月11日、被告病院において、「もう決心がつきました。ただ一人ぐらしは不安なので、グループホームに入りたいです。」との発言をした。
⑸原告は、令和2年10月21日、被告病院から外出し、そのまま被告病院に戻らず、c駅にいたところを保護され、再び被告病院に戻った。⑹被告病院は、令和3年2月18日頃、同病院内において、新型コロナウィルス感染症(以下「新型コロナ」という。)の感染によるクラスター(感染者の集団)が発生したことから、同月24日頃以降、新型コロナの感染者を同病院の女子治療病棟の107号室及び108号室に移動させ(以下、107号室と108号室を併せて「本件病室」という。)、本件病室を施錠することにより、新型コロナ感染者を隔離する措置を開始した。
⑺原告は、令和3年3月10日、新型コロナに感染したことから、被告病院の女子治療病棟の108号室へと移動し、同月12日、同107号室へと移動した。その後、原告は、同月20日、新型コロナから回復したことにより、同105号室へと移動した。
⑻原告は、令和3年7月28日、被告病院を退院した。
第3 争点及び争点に関する当事者の主張の要旨
1 争点
⑴監禁行為に係る被告らの責任の有無(本件請求1)
ア 被告病院による原告の監禁の有無及び違法性(争点1-1)
イ 被告Aの責任(争点1-2)
ウ 亡Eの責任(争点1-3)
エ 被告法人の責任(争点1-4)
オ 原告の損害(争点1-5)
⑵退院支援に係る被告らの責任の有無(本件請求2の⑴の請求)
ア 被告Aの責任(争点2-1)
イ 亡Eの責任(争点2-2)
ウ 被告法人の責任(争点2-3)
エ 原告の損害(争点2-4)
⑶平成29年5月31日までにされた退院の申出(以下「本件申出1」という。)に係る被告らの責任の有無(本件請求2の⑵の請求)
ア 平成29年5月31日までに精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」に該当する申出があったか(争点3-1)
イ 被告Aの責任(争点3-2)
ウ 亡Eの責任(争点3-3)
エ 被告法人の責任(争点3-4)
オ 原告の損害(争点3-5)
⑷平成30年1月11日までにされた退院の申出(以下「本件申出2」という。)に係る被告らの責任の有無(本件請求2の⑶の請求)
ア 平成30年1月11日までに精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」に該当する申出があったか(争点4-1)
イ 被告Aの責任(争点4-2)
ウ 亡Eの責任(争点4-3)
エ 被告法人の責任(争点4-4)
オ 原告の損害(争点4-5)
⑸令和2年10月21日までにされた退院の申出(以下「本件申出3」という。)に係る被告らの責任の有無(本件請求2の⑷の請求)
ア 令和2年10月21日までに精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」に該当する申出があったか(争点5-1)
イ 被告Aの責任(争点5-2)
ウ 亡Eの責任(争点5-3)
エ 被告法人の責任(争点5-4)
オ 原告の損害(争点5-5)
2 争点に関する当事者の主張の要旨
⑴監禁行為に係る被告らの責任の有無(本件請求1)
ア 被告病院による原告の監禁の有無及び違法性(争点1-1)(原告の主張)
a 原告は、被告病院に入院中の令和3年3月10日に新型コロナに感染したが、被告病院は、同日から同月12日までの間、原告を被告病院の女子治療病棟(以下「本件病棟」という。)の108号室に、また、同日から同月20日までの間、原告を本件病棟の107号室にそれぞれ入室させた上で、上記の各病室(本件病室)の外から南京錠で施錠して、原告が自力では室外に出ることができない状態にした。これにより、被告病院は、原告を108号室から107号室に移動させた一度の機会を除き、原告に対して本件病室の室外に出ることを一切許さず、10日間にわたり原告を監禁したものである(以下「本件監禁」という。)。
b 本件監禁は、精神保健福祉法上許容された態様での隔離ではなかった上、被告病院が行った隔離に問題があることは東京都から同旨の指摘を受けていることからも明らかであるから、本件監禁の当時、新型コロナの感染拡大防止を図る必要があったことを踏まえても、本件監禁は違法であり、不法行為を構成する。
c また、仮に、物理的監禁状態でなかったとしても、本件病室はいずれも、原告に「この部屋から出る方法がない」と認識させるに足りる状態になっていたのであるから、原告は心理的監禁状態に置かれていたといえる。
(被告らの主張)
a 被告病院が原告を施錠された病室に監禁したとの事実は否認する。被告病院では、令和3年2月以降、新型コロナの陽性患者を隔離する手段として、他の患者とは病室を分けた上で新型コロナの陽性患者の病室を施錠したこともあったが、その施錠の態様は、両開き扉の片側のみに掛金を付けるといった患者が部屋に閉じ込められない方法をとっていたり、鍵を付けたとしても当該鍵が外れたりしていたため、新型コロナの陽性患者の病室を完全に封鎖したことはほとんどなかった。また、同年3月9日に東京都から病室に鍵をかけないように指導を受けたことから、被告病院では、同日以降、病室に鍵をかける取扱いはしていない。したがって、同月10日に新型コロナへの感染が確認された原告が、施錠された病室に隔離された事実はない。
b なお、仮に被告病院が原告を施錠された病室に入室させていたとしても、原告が新型コロナに感染した令和3年3月当時は、新型コロナに対する治療薬はなく、ワクチンも普及していなかったこと、新型コロナの感染が拡大しており、特に病院や介護施設では、感染拡大を防止することが最重要課題とされていたことに加え、現に、被告病院においても新型コロナのクラスターが発生していたことを踏まえれば、被告病院の対応はやむを得ないものであったといえる。
イ 被告Aの責任(争点1-2)
(原告の主張)
被告病院の管理者であり同病院の院長であった被告Aは、故意に、被告病院の職員ら(以下「被告病院職員ら」という。)に指示をして、本件監禁を行わせたのであるから、民法709条に基づく不法行為責任を負う。(被告法人及び被告Aの主張)
否認ないし争う。
ウ 亡Eの責任(争点1-3)
(原告の主張)
a 被告法人の理事長であった亡Eは、被告A又は被告病院職員らに指示をして、10日間にわたり本件監禁を行わせたのであるから、民法709条に基づく不法行為責任を負う。
b 仮に、亡Eが被告A又は被告病院職員らに対して原告の監禁を指示していなかったとしても、被告法人の理事長である亡Eは、医療法の規定に基づき善管注意義務ないし忠実義務を負っており、その一内容として、理事又は病院職員の職務の執行に違法又は不当な点が疑われた場合には、事実関係を調査してこれを是正する義務を負うところ、被告病院において令和3年2月頃に新型コロナの大規模クラスターが発生しており、その際、亡Eは、新型コロナの陽性患者の取扱いについて報告を受け、被告病院が部屋を施錠して新型コロナの陽性患者を閉じ込める取扱いをしていたことを認識していたはずであるから、このような取扱いを是正するように指導する義務を負っていた。それにもかかわらず、亡Eは、上記の義務を怠り、上記の取扱いを是正するように指示しなかったのであるから、民法709条に基づく不法行為責任を負う。
c さらに、上記のとおり、被告病院では、令和3年2月頃に新型コロナの大規模クラスターが発生しており、亡Eもその事実を把握していたのであるから、亡Eは、被告病院における新型コロナの大規模クラスターへの対応が、精神保健福祉法をはじめとする法令の規定を遵守しているか否かを確認し、遵守していない場合には是正できるような体制を構築、運用すべき義務を負っており、遅くとも同年3月9日までには、入院患者との関係においても、上記の体制を構築、運用する義務を負っていたものである。しかし、亡Eは、上記の義務を怠り、その結果、被告A又は被告病院職員らが原告を監禁する事態が生じたのであるから、民法709条に基づく不法行為責任を負う。
d 医療法48条1項は、医療法人の理事の任務懈怠により第三者に発生した損害についての賠償責任を定めているところ、亡Eは、医療機関の理事長として、令和2年初頭からの新型コロナの感染拡大の状況を把握していたはずであるから、被告病院内で新型コロナの陽性患者が発生した場合に備えて、陽性患者の隔離や治療方法などの治療体制を構築すべき義務を負っていた。また、亡Eは、上記bのとおり、被告病院における、新型コロナの陽性患者を施錠された病室内に閉じ込めるという取扱いを是正するように指示する義務を負っていた。それにもかかわらず、亡Eは、上記の治療体制の構築や是正の指示を怠ったのであるから、上記の各義務に関して、重大な過失による任務懈怠責任があったといえ、医療法48条1項に基づく損害賠償責任を負う。
(被告らの主張)
争う。亡Eは、被告A及び被告病院職員らに対し、本件病室の施錠について、何らの指示もしていない。
エ 被告法人の責任(争点1-4)
(原告の主張)
a 被告法人は、その被用者である被告Aが、被告法人の事業の執行として、被告病院職員らに指示して本件監禁を行ったことについて、民法715条1項に基づく使用者責任を負う。
b 仮に、被告Aに不法行為責任が認められないとしても、被告法人の被用者であり原告の主治医であったF医師は、自ら又は被告病院職員らに指示をして本件監禁を行ったのであるから、被告法人は、その被用者であるF医師が、被告法人の事業の執行として本件監禁を行ったことについて、民法715条1項に基づく使用者責任を負う。
c また、被告法人は、理事長である亡Eの本件監禁に係る不法行為について、医療法46条の6の4、一般社団法人法78条に基づく責任を負う。
(被告法人の主張)
F医師が自ら又は被告病院職員らをして原告を監禁したとの事実は否認する。そして、被告A、F医師及び亡Eがいずれも不法行為責任を負わない以上、被告法人が本件監禁について何らかの責任を負うこともない。
オ 原告の損害(争点1-5)
(原告の主張)
a 本件監禁は、劣悪な環境下に原告を長期間閉じ込めるという悪質なもので、原告及び共に監禁されていた患者は、悪臭の充満する部屋で阿鼻叫喚ともいえる状況に置かれていた上、被告病院は、本件監禁の間、原告に対して新型コロナの治療等をほぼ行わなかった。また、本件監禁は、新型コロナについて陰性と判定されるまで続けられたが、その間、原告は、本件監禁がいつまで続くか分からず、恐怖感や絶望感を抱えて過ごしていた。このように、原告は、本件監禁により、人間の尊厳さえ完全に否定される苦しみを味わっており、これにより原告に生じた精神的損害は200万円を下らない。
また、上記の200万円の1割に相当する金額である20万円が、弁護士費用として相当因果関係のある損害に当たる。
b なお、亡Eの原告に対する220万円の損害賠償債務(元本)は、被告Bがその法定相続分の2分の1に相当する110万円の限度で、被告A及び被告Cがその法定相続分の4分の1に相当する55万円の限度で、それぞれ相続している。
(被告らの主張)
争う。
⑵退院支援に係る被告らの責任の有無(本件請求2の⑴)
ア 被告Aの責任(争点2-1)
(原告の主張)
a 退院支援義務
憲法や障害者基本法等の規定を踏まえれば、障害者には地域社会で生活する権利が保障されており、かつ、当該権利は重要なものである。これに加え、精神保健福祉法1条及び4条の趣旨、医療保護入院に関する同法33条の4ないし6の規定の趣旨が任意入院についても及ぶこと、及びこれらの規定が新設された法改正の趣旨、並びに同法41条1項の「良質かつ適切な精神障害者に対する医療の提供を確保するための」指針の実効性を保つ必要があることを踏まえれば、精神科病院の管理者は、退院を希望しているが社会的な要因が理由で自力では速やかな退院が困難な入院患者に対し、同患者が退院を果たすために必要な病院外の地域社会との間における生活環境の調整を内容とする退院支援義務を負っているというべきである。そして、精神科病院の管理者は、退院支援義務を負う場合にはこれを速やかに実施しなければならない。
この点につき、被告らは、精神保健福祉法で定められる精神科病院の管理者が負う義務は公法上の義務にすぎない旨の主張をするが、同法は、私法上の効果を生じさせることは一切ないという性質の法律ではなく、個別の規定ごとにその効果を判断すべきである。また、仮に精神保健福祉法が公法であったとしても、同法の規定は、不法行為との関係においては、診療当時の臨床医学の実践における医療水準についての解釈指針又は端的に注意義務の内容となるものであるというべきである。
b 被告Aの責任
原告は、遅くとも平成29年5月31日には、退院後の住居があれば退院が可能な状態になっていたところ、被告病院は、同年6月21日及び同年7月12日のケースカンファレンスにおいて、原告について救護施設又は滞在型グループホームへの入居に向けた退院調整を行う方針を立てている。そして、原告自身が上記の各施設への入居のための調整を行うことは不可能であったから、精神科病院である被告病院の管理者である被告Aは、同日頃の時点において、被告病院職員らに対し、速やかに被告病院退院後の原告の住居の候補の選定並びに候補先への相談及び申込みをするように指示を出して原告の退院を支援すべき義務を負っていた。それにもかかわらず、被告Aは、上記の義務を怠り、被告病院職員らに対して上記の指示を出さなかったことから、被告病院職員らは、原告の退院後の入居先の選択肢を救護施設である「G」(以下「G」という。)に絞り、同所との連絡をとるのみで、原告が同所に入居できる具体的な見通しが立たなかったにもかかわらず、他の選択肢の検討を進めず、必要な退院支援を行わなかった。
また、仮に、被告Aが平成29年7月12日頃の時点で上記の指示を出していたとしても、被告病院職員らは退院後の原告の住居の候補の選定や候補先への相談及び入居申込みを行っていなかったのであるから、被告Aは、遅くとも上記の指示を出してから1か月後の同年8月11日までには、上記の選定、相談及び申込みを行うように改めて指示を出すなどして、被告病院職員らの活動を是正する義務を負っていたというべきである。それにもかかわらず、被告Aは、上記の義務を怠り、被告病院職員らの活動を是正しなかった。
c 以上によれば、いずれにしても、被告Aは、民法709条に基づく不法行為責任を負う。
(被告らの主張)
a 原告に対する退院支援について、被告Aが個人として不法行為責任を負うことは争う。精神保健福祉法で定められる精神科病院の管理者が負う義務は、公法上の義務であり、したがって、同法の上記の義務に関する規定は、患者の主治医ではない病院の管理者に対して直接当該患者に対する私法上の義務を負わせるものではないから、被告Aが原告の主張するような法的義務を負うものではない。
b また、被告病院において、原告の帰住先として滞在型グループホームではなく救護施設を選択したことや救護施設の入所待ちをしたことは、合理的な判断であり、被告病院が救護施設への入所申込みと並行して滞在型グループホームへの入所申込みを行う必要はなかった。これに加えて、原告の病状が不安定で退院可能な状態に至っていなかったこと、救護施設への入所申込み後の待機期間が想定を上回っていたこと、新型コロナの流行により国民全体に対して行動制限が課されていたことなどの事情を踏まえれば、被告病院が原告に対して行った退院支援が不十分であったとはいえない。
c さらに、原告の主治医はF医師であり、F医師がその医学的知見により退院の是非を判断していたのであって、F医師の判断には相当の裁量が認められる。そうすると、主治医の判断に対し、院長が介入して修正する義務があるのは、主治医の判断がその裁量を逸脱して法令違反が明らかな場合に限られると解すべきである。
イ 亡Eの責任(争点2-2)
(原告の主張)
a 東京都は精神保健福祉法38条の6の規定に基づき年に1回実地指導を行っているところ、被告病院に対して平成29年6月12日に行われた実地指導における指摘・指導事項は、いずれも入院患者の入退院及び処遇に関わるものであった上、平成28年にされた実地指導よりもこれらの項目数が増加しており、被告法人の理事長である亡Eとしては、被告A又は被告病院職員らの職務の執行に違法又は不当な点があることを疑うべき状況にあった。これに加え、入院患者の入退院及び処遇に関わる事項が憲法18条により保障される入院患者の人身の自由等の重要な利益に関わる事項であることをも踏まえれば、亡Eは、遅くとも平成29年8月12日までには、被告A及び被告病院職員らが入院患者の入退院及び処遇の管理・運営を適法・適切に実施しているか否かを調査した上で、これらを是正するように指示すべき義務を負っていたものである。しかし、亡Eは、上記の義務を怠り、上記の調査及び指示をしなかった結果、原告に対する必要な退院支援がされなかった。
b また、亡Eは、被告Aや被告病院職員らが精神保健福祉法をはじめとする法令の規定を遵守する体制を構築、運用すべき義務を、入院患者との関係でも負っていたにもかかわらず、これを怠った結果、原告に対する必要な退院支援はされなかった。
c 以上によれば、いずれにしても、亡Eは、民法709条に基づく不法行為責任を負う。
(被告らの主張)
原告に対する退院支援について、亡Eが個人としての不法行為責任を負うことは争う。医療法人の理事長は、同法人の開設する病院の管理者ではないから同病院の職員に対して監督責任を負うものではないし、仮に監督責任が生じるとしても、その責任はあくまでも医療法人に対して負うものであり、同病院の患者に対し責任を負うものではない。
ウ 被告法人の責任(争点2-3)
(原告の主張)
a 被告法人は、その被用者である被告Aが、被告法人の事業の執行として、原告に対する退院支援に係る不法行為を行ったことについて、民法715条1項に基づく使用者責任を負う。
b また、仮に退院支援等の精神保健福祉法上の義務が主治医にのみ課されるものであり、被告病院の管理者である被告Aに課されるものではないとしても、平成29年7月12日当時、原告の主治医であったF医師は、原告の病状等が同日頃には退院に向けた支援を開始すべき程度に回復していたことを認識していたのであるから、被告病院に所属する精神保健福祉士等に指示を出し、その後も当該指示に従った活動を維持させるなどして、原告に対して退院支援を行うべき義務を負っていたにもかかわらず、これを怠っている。そうすると、F医師には民法709条に基づく不法行為責任があり、被告法人は、その被用者であるF医師が、その事業の執行につき行った上記の不法行為について、民法715条に基づく使用者責任を負う。
c さらに、被告法人は、理事長である亡Eによる原告の退院支援に係る不法行為について、医療法46条の6の4、一般社団法人法78条に基づく責任を負う。
(被告法人の主張)
a 原告に対する退院支援は、F医師個人で実施していたものではなく、グループホーム「H」(以下「H」という。)の職員、保健所の生活保護ケースワーカー、デイケア担当者、被告病院のケースワーカー、看護師が連携して実施していた。このような多職種が連携するチーム医療においては、他の専門分野の医療従事者による医療行為が明らかに異常なものであり、その異常性が容易に分かる場合でない限りは、基本的に、他の専門分野の医療従事者の行為についての責任を負わないと解すべきである。したがって、仮に原告に対する退院支援が不十分であったとしても、直ちに、F医師個人の不法行為責任が発生するわけではなく、ひいては、これを理由とする被告の使用者責任も成立しない。
b また、被告A及び亡Eが個人としての不法行為責任を負う法的根拠はない。したがって、被告法人に損害賠償責任が発生する余地はない。
エ 原告の損害(争点2-4)
(原告の主張)
a 原告は、平成29年7月12日頃から被告病院を退院した令和3年7月28日までの間、4年以上も入院生活を強いられたところ、被告病院内での生活は社会から隔絶されている上、特に原告においては、入院期間の大半の期間について本件病棟に入れられており、行動の制限は特に大きかった。また、原告は自力で代理人を雇うなどして退院を実現せざるを得ないという負担を強いられた。そして、原告は遅くとも平成29年11月12日に退院が可能であり、同日から原告が被告病院を退院した令和3年7月28日までの日数は1354日であるところ、同日数分の入通院慰謝料相当額は375万6666円であり、無罪判決を受けた場合の同日数分の身柄拘束期間に対する補償額は913万9500円であることに照らし、原告の精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は300万円を下らない。
また、上記の300万円の1割に相当する金額である30万円が、弁護士費用として相当因果関係のある損害に当たる。
b なお、亡Eの原告に対する330万円の損害賠償債務(元本)は、被告Bがその法定相続分の2分の1に相当する165万円の限度で、被告A及び被告Cがその法定相続分の4分の1に相当する82万5000円の限度で、それぞれ相続している。
(被告らの主張)
争う。
⑶本件申出1に係る被告らの責任の有無(本件請求2の⑵)
ア 平成29年5月31日までに精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」に該当する申出があったか(争点3-1)
(原告の主張)
a 原告は、平成29年2月22日にうつ病の診断を受け被告病院に入院したところ、入院から3か月以上が経過した同年5月31日までには症状が軽快し、遅くとも同日までには、F医師、被告A及び病棟内看護師等に対し、退院を申し出ていた。このことは、被告病院において、原告から退院の申出があったことを前提に、同年6月21日に原告の退院後の居住先についてケースカンファレンスが開かれていることからも明らかである。
そして、原告の上記の申出は、何らの留保もなく直ちに退院したいという趣旨のものであるから、精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」に該当する。
b 精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」は、その文言どおり、退院を希望する旨の意思表示であると解すべきである。被告らの主張する「退院の申出」の解釈を前提にすると、適切な受入先がなければ退院を希望する旨を申し出ても退院は認められない結果となるが、そのような事態は患者の自己決定権を著しく侵害するものであり、到底法が予定するものではない。
また、仮に、被告らの主張するとおり「退院の申出」が適切な受入先の存在を前提とするものであるとしても、原告は本件申出1の時点で以前居住していたグループホームやd区の実家などに戻ることもできたから、本件申出1が精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」に該当することに変わりはない。
c 精神保健福祉法は、任意入院者からの「退院の申出」について、医療機関に対して同法21条2項の「退院の申出」に該当するか否かにつき判断をする権限を付与していない上、形式上「退院の申出」がされたにもかかわらず医療機関の一方的な判断でこれを認めず事実上入院治療を強制することは、強制入院について厳格な各種規制を設ける法の趣旨に反し許されないから、同法21条2項の「退院の申出」の該当性について厳格に判断すべきとする被告らの主張は失当である。
d さらに、入院の継続は患者の人身の自由に関わるものであり、退院の申出の撤回を容易に認めると実質的に強制入院を認めることになり適正手続の保障にも反することになるから、退院の申出の撤回こそ、厳格に認定されるべきであり、本件では、退院の申出の撤回があるとはいえない。
(被告らの主張)
a 精神障害者について、適切な受入先が確保されないまま退院の希望が表明された場合に、病院が直ちに退院に応じなければならないとすると、行き場のない患者が退院後に路頭に迷うことになりかねず、精神保健福祉法1条の精神障害者の福祉の増進を図るという目的に反することになるおそれがあるから、同法21条2項の「退院の申出」における「退院」とは、「適切な受入先の確保を前提として病院を離れること」を意味すると解すべきであり、「退院の申出」は、適切な受入先の確保という客観的な状況が存在していることを前提とするものと解釈することが自然かつ合理的である。
そして、原告については、被告病院への入院後、救護施設への入所の順番待ちという形で受入先の確保のための対応がとられていたものの、平成29年5月31日の時点で、いまだ救護施設への入所が実現する状況にはなく、他に即時対応可能な受入先等もなかったのであるから、原告により同日の時点で退院希望が表明されていたとしても、同法21条2項の「退院の申出」には当たらない。
b 仮に、原告の主張するとおり、受入先が確保されていなくとも退院したいという希望が表明されたことをもって「退院の申出」に当たると解されるのであれば、患者が退院の希望を少しでも口にした時点で直ちに患者を退院させなければならないとすると、かえって患者の保護に反する結果となるため、「退院の申出」の認定に当たっては、患者の表面的な言動のみならず、当該意思の表明の前後の患者の病状や言動、当該言動に至った経緯等を総合的に勘案し、それが真摯な検討の結果としての退院希望の表明といえるか否かを慎重に検討し、厳格に判断すべきである。そして、以上を踏まえて考えると、平成29年5月31日までの間に、原告から具体的な退院希望の表明がされた事実があるとはいえない。なお、同年6月21日のケースカンファレンスは、同年7月31日でグループホームの利用期間が満了となることから、その後の原告の受入先を検討するために開催されたものにすぎない。
c また、仮に、平成29年5月31日までの原告の言動が精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」に該当するといえるとしても、原告は、同日以降も事実上被告病院への入院を継続し、被告病院に対して受入先を探すように求めており、その間、受入先が決まらなくとも即座に退院させてほしい旨の意向を表明したこともないから、原告による「退院の申出」は撤回されたと評価すべきである。
イ 被告Aの責任(争点3-2)
(原告の主張)
精神保健福祉法21条2項は、「精神科病院の管理者は、任意入院する者が退院の申出をした場合、患者を退院させなければならない」旨を定めており、一定の例外(同法21条3項)を除いては、任意入院者の退院は原則として自由であるとしている。また、退院の申出の相手方は、精神科病院の管理者のほか、主治医、看護師又は事務職員等の病院の職員であればよいし、退院の申出は書面でも口頭でも可能である。このように、精神科病院の管理者は、任意入院者から退院の申出があった場合には、精神保健福祉法21条3項の例外に該当する場合を除き、同人を退院させなければならず、そのために必要な対応をすべき注意義務を負う。
本件でも、上記アの(原告の主張)のとおり、原告は遅くとも平成29年5月31日までに本件申出1を行っている上、原告は、同日の時点で、被告病院への入院前に居住していたグループホームに戻ることも、d区に所在する実家に戻ることも可能であったから、原告には退院を困難とする事情もなかった。そうすると、被告病院の管理者であり、自らも主治医であるF医師に代わりたびたび原告を直接診療していた被告Aは、原告から本件申出1がされた後速やかに、自ら直接又は被告病院職員らをして、原告を被告病院から退院させる義務を負っていたものである。それにもかかわらず、被告Aは、令和3年7月28日まで原告を退院させず、上記の義務に違反したのであるから、民法709条に基づく不法行為責任を負う。(被告A及び被告法人の主張)
a 原告からの退院の申出に関して、被告Aが個人として不法行為責任を負うことは争う。精神保健福祉法で定められる精神科病院の管理者が負う義務は公法上の義務であり、同法の上記の義務に関する規定は、患者の主治医ではない病院の管理者に対し、直接当該患者に対して私法上の義務を負わせるものではない。
b また、被告病院は、原告の入院当初から、原告を退院させるために、帰住調整、転院先調整等を行っていたが、原告が病棟において逸脱行動を繰り返していたことやコロナ禍の影響により、直ちに原告を退院させることができなかった。したがって、仮に、原告による退院の希望の表明が「退院の申出」であるとしても、原告が「退院の申出」をしてから直ちに退院できなかった原因は、原告の精神医学的状態が不安定であったことや、コロナ禍の影響によるものであるから、被告Aが不法行為責任を負うことはない。
ウ 亡Eの責任(争点3-3)
(原告の主張)
a 上記⑵イの(原告の主張)のとおり、被告法人の理事長である亡Eは、遅くとも平成29年8月12日までには、被告A及び被告病院職員らが入院患者の入退院及び処遇の管理・運営を適法・適切に実施しているか調査した上で、これらを是正するように指示すべき義務を負っていた。しかし、亡Eは、上記の義務を怠り、上記の調査及び指示をしなかったことから、被告A及び被告病院職員らは、原告による本件申出1を放置した。
b また、亡Eは、被告Aや被告病院職員らが精神保健福祉法をはじめとする法令の規定を遵守する体制を構築、運用すべき義務を、入院患者との関係でも負っていたにもかかわらず、これを怠った結果、原告による本件申出1は放置された。
c 以上によれば、いずれにしても、亡Eは、民法709条に基づく不法行為責任を負う。
(被告らの主張)
原告による本件申出1について、亡Eが個人としての不法行為責任を負うことは争う。医療法人の理事長は、同法人の開設する病院の管理者ではないから、同病院の職員に対して監督責任を負うものではないし、仮に監督責任が生じるとしても、その責任は、あくまでも医療法人に対して負うものであって、同病院の患者に対して負うものではない。
エ 被告法人の責任(争点3-4)
(原告の主張)
a 被告法人は、その被用者である被告Aが、被告法人の事業の執行として、本件申出1に係る不法行為を行ったことについて、民法715条1項に基づく使用者責任を負う。
b また、F医師は、原告から退院の申出を受けていたのであるから、これを被告Aに伝えるなどして速やかに原告を退院させるべき義務を負っていたにもかかわらず、これを怠ったものである。そうすると、F医師には民法709条に基づく不法行為責任があり、被告法人は、その被用者であるF医師が、その事業の執行につき行った上記の不法行為について、民法715条に基づく使用者責任を負う。
c さらに、被告法人は、理事長である亡Eによる本件申出1に係る不法行為について、医療法46条の6の4、一般社団法人法78条に基づく責任を負う。
(被告法人の主張)
被告A、亡E及びF医師が個人としての不法行為責任を負わない以上、被告法人に損害賠償責任が発生する余地はない。
オ 原告の損害(争点3-5)
(原告の主張)
a 上記⑵エの(原告の主張)と同様、被告病院を退院できなかったことによる原告の精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は300万円を下らない。
また、上記の300万円の1割に相当する金額である30万円が、弁護士費用として相当因果関係のある損害に当たる。
b なお、亡Eの原告に対する330万円の損害賠償債務(元本)は、被告Bがその法定相続分の2分の1に相当する165万円の限度で、被告A及び被告Cがその法定相続分の4分の1に相当する82万5000円の限度で、それぞれ相続している。
(被告らの主張)
争う。
⑷本件申出2に係る被告らの責任の有無(本件請求2の⑶)
ア 平成30年1月11日までに精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」に該当する申出があったか(争点4-1)
(原告の主張)
仮に本件申出1の存在が認められないとしても、原告の入院時から平成30年1月11日までの言動に加え、原告が、同日のF医師による診察時に、同医師に対し、「もう決心がつきました。ただ一人ぐらしは不安なのでグループホームに入りたいです」と述べたことからすれば、原告は、遅くとも同日までに、精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」をしており、同日中に当該申出の意思表示は被告Aに到達した。
(被告らの主張)
a 原告が平成30年1月11日に「もう決心がつきました。ただ一人ぐらしは不安なのでグループホームに入りたいです」と述べた事実は認める。しかし、上記⑶アの(被告の主張)aのとおり、精神福祉保健法21条2項の「退院の申出」は、適切な受入先の確保という客観的な状況が存在していることを前提とするものであるところ、同日当時、原告において適切な受入先は確保されていなかったから、原告の上記の発言が同法21条2項の「退院の申出」に当たるとはいえない。
b また、仮に、原告の主張するとおり、受入先が確保されていなくとも退院を希望する意思表示がされた場合には上記の「退院の申出」に当たると解し得るとしても、原告の上記の発言は、グループホームへの入居希望を表明するものであり、グループホームへの入居が確保されない限り退院を希望しない趣旨であると解するのが合理的であるから、精神福祉保健法21条2項の「退院の申出」に当たるとはいえない。
イ 被告Aの責任(争点4-2)
(原告の主張)
被告Aは、平成30年1月11日までに本件申出2を受けたのであるから、精神保健福祉法21条2項に基づき、原告を同日中に退院させる義務を負っていたものであり、それにもかかわらず、これを怠ったのであるから、民法709条に基づく不法行為責任を負う。
(被告A及び被告法人の主張)
上記⑶イ(争点3-2)の(被告A及び被告法人の主張)と同様に争う。
ウ 亡Eの責任(争点4-3)
(原告の主張)
a 被告法人の理事長である亡Eは、被告病院の管理者である被告Aを通じて原告からの本件申出2を速やかに実現すべく監督すべき義務を負っていたにもかかわらず、これを怠った結果、本件申出2は放置された。
b また、亡Eは、被告Aや被告病院職員らが精神保健福祉法をはじめとする法令の規定を遵守する体制を構築、運用すべき義務を、入院患者との関係でも負っていたにもかかわらず、これを怠った結果、本件申出2は放置された。
c 以上によれば、いずれにしても、亡Eは、民法709条に基づく不法行為責任を負う。
(被告らの主張)
上記⑶ウ(争点3-3)の(被告らの主張)と同様に争う。
エ 被告法人の責任(争点4-4)
(原告の主張)
a 被告法人は、その被用者である被告Aが、被告法人の事業の執行につき、本件申出2に係る不法行為を行ったことについて、民法715条1項に基づく使用者責任を負う。
b また、原告の主治医であるF医師は、原告から本件申出2を受けていたのであるから、上記の申出に基づき、平成30年1月11日までに原告を退院させる義務を負っていたにもかかわらず、これを怠っているから、F医師には民法709条に基づく不法行為責任があり、被告法人は、その被用者であるF医師が、その事業の執行につき行った不法行為について、民法715条に基づく使用者責任を負う。
c さらに、被告法人は、理事長である亡Eによる本件申出2に係る不法行為について、医療法46条の6の4、一般社団法人法78条に基づく責任を負う。
(被告法人の主張)
上記⑶エ(争点3-4)の(被告法人の主張)と同様に争う。
オ 原告の損害(争点4-5)
(原告の主張)
a 原告が平成30年1月11日から令和3年7月28日まで入院生活を強いられた精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は、入院期間が3年6か月の場合の入院慰謝料相当額が363万円であることを踏まえると、300万円を下らない。
また、上記の300万円の1割に相当する金額である30万円が、弁護士費用として相当因果関係のある損害に当たる。
b なお、亡Eの原告に対する330万円の損害賠償債務(元本)は、被告Bがその法定相続分の2分の1に相当する165万円の限度で、被告A及び被告Cがその法定相続分の4分の1に相当する82万5000円の限度で、それぞれ相続している。
(被告らの主張)
争う。
⑸本件申出3に係る被告らの責任の有無(本件請求2の⑷)
ア 令和2年10月21日までに精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」に該当する申出があったか(争点5-1)
(原告の主張)
a 原告は、令和2年10月21日、被告病院から外出した後に被告病院に戻らなかったところ、被告病院の職員からの通報を受けた警察に保護されて被告病院に戻された。その際、原告は、F医師に対し、あるいは、担当ケースワーカー及び警察を通じて被告Aに対し、精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」を行っている。仮に明示的に退院の申出をしたと認められないとしても、原告は被告病院から外出し戻らなかった以上、黙示的に同法21条2項の「退院の申出」を行っていることは明らかである。
b 精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」の解釈及び被告らの主張を前提としても、原告において同法21条2項の「退院の申出」が存在したと認められることについては、上記⑶アの(原告の主張)bのとおりである。
c 原告が令和2年10月21日に被告病院に戻ったのは、被告病院の職員に連れ戻されたからにすぎない。また、その後の原告からの退院の申出は被告病院に無視されていたのであり、同日以降の受入先の選定状況は、同日の原告の行為の「退院の申出」該当性とは無関係である。
d 原告は、令和2年10月21日に被告病院からの逃走に失敗して被告病院に連れ戻された後は、被告病院に逆らうことのできるような状況ではなかったのであるから、その後、被告病院への入院を継続し、被告病院に対して入居先を探すよう求めたことをもって、「退院の申出」が撤回されたと評価することはできない。
(被告らの主張)
a 原告は、令和2年10月21日の時点でも、いまだ救護施設への入所が実現する状況にはなく、他に即時対応可能な受入先等もなかったのであるから、同日の時点における退院希望の表明は、精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」には当たらない。
b 仮に、原告の主張するとおり、受入先が確保されていなくとも退院したいという希望が表明されたことをもって「退院の申出」に該当すると解されるとしても、原告は、令和2年10月21日に最終的に自らの意思で被告病院に戻っていることや、同日以降も被告病院や原告代理人の一人であるI弁護士(以下「I弁護士」という。)に対して退院後の受入先の選定を依頼し、特に即時の退院を求めなかったことからすれば、同日の原告の言動は、一時的な感情の発露にすぎず、精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」とは評価できない。
c さらに、令和2年10月21日の原告の言動が精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」に該当するといえるとしても、原告は、同日以降も事実上被告病院への入院を継続し、被告病院に対して受入先を探すよう求めており、その間、受入先が決まらなくとも即座に退院させてほしい旨の意向を表明したことはないから、原告による「退院の申出」は撤回されたと評価すべきである。
イ 被告Aの責任(争点5-2)
(原告の主張)
上記⑶イの(原告の主張)と同様、被告Aは、令和2年10月21日に原告から本件申出3がされた後速やかに、原告を被告病院から退院させる義務を負っていたものであり、それにもかかわらず、これを怠り、令和3年7月28日まで原告を退院させなかったのであるから、民法709条に基づく不法行為責任を負う。
(被告A及び被告法人の主張)
上記⑶イ(争点3-2)の(被告A及び被告法人の主張)と同様に争う。
ウ 亡Eの責任(争点5-3)
(原告の主張)
a 被告法人の理事長である亡Eは、被告病院の管理者である被告Aを通じて原告からの本件申出3を速やかに実現すべく監督すべき義務を負っていたにもかかわらず、これを怠った結果、本件申出3は放置された。
b また、亡Eは、被告Aや被告病院職員らが精神保健福祉法をはじめとする法令の規定を遵守する体制を構築、運用すべき義務を、入院患者との関係でも負っていたにもかかわらず、これを怠った結果、本件申出3は放置された。
c 以上によれば、いずれにしても、亡Eは、民法709条に基づく不法行為責任を負う。
(被告らの主張)
上記⑶ウ(争点3-3)の(被告らの主張)と同様に争う。
エ 被告法人の責任(争点5-4)
(原告の主張)
a 被告法人は、その被用者である被告Aが、被告法人の事業の執行として、本件申出3に係る不法行為を行ったことについて、民法715条1項に基づく使用者責任を負う。
b また、F医師は、原告から本件申出3を受けていたのであるから、上記の申出に基づき、令和2年10月21日までに原告を退院させる義務を負っていたにもかかわらず、これを怠っているから、F医師には民法709条に基づく不法行為責任があり、被告法人は、その被用者であるF医師が、その事業の執行につき行った上記の不法行為について、民法715条に基づく使用者責任を負う。
c 被告法人は、理事長である亡Eによる本件申出3に係る不法行為について、医療法46条の6の4、一般社団法人法78条に基づく責任を負う。
(被告法人の主張)
上記⑶エ(争点3-4)の(被告法人の主張)と同様に争う。
オ 原告の損害(争点5-5)
(原告の主張)
a 令和2年10月21日から令和3年7月28日まで被告病院を退院できなかったことによる原告の精神的損害を慰謝するに足りる額は、入院9か月の場合の入通院慰謝料が186万円であることを踏まえると、186万円を下らない。
また、上記の186万円の1割に相当する金額である18万6000円が、弁護士費用として相当因果関係のある損害に当たる。
b なお、亡Eの原告に対する204万6000円の損害賠償債務(元本)は、被告Bがその法定相続分の2分の1に相当する102万3000円の限度で、被告A及び被告Cがその法定相続分の4分の1に相当する51万1500円の限度で、それぞれ相続している。
(被告らの主張)
争う。
第4 当裁判所の判断
1 監禁行為に係る被告らの責任の有無(本件請求1)について⑴被告病院による原告の監禁の有無及び違法性(争点1-1)について
ア 原告は、被告病院が、令和3年3月10日以降、10日間にわたり、新型コロナに感染した原告を施錠された本件病室内において監禁した旨の主張をし、これに対して、被告らは、同月9日以降、東京都職員からの指摘を受けて、本件病室を施錠していなかったから、原告を施錠された本件病室内において監禁した事実はない旨の主張をする。そこで、以下、同月10日以降、本件病室が施錠されていたか否かについて検討する。
a 証拠(甲17、乙36、38)によれば、被告病院は、令和3年7月5日、東京都福祉保健局障害者施策推進部との面談において、東京都職員から指摘を受けた同年3月9日以降は本件病室の施錠を行っていない旨を東京都に対して伝えた上、同年11月29日、上記障害者施策推進部の精神保健医療課長に対し、同年3月9日に東京都職員からの指導を受けて本件病室の隔離を解除した旨の報告書を提出したことが認められるところ、被告病院が、本件訴訟係属前の時点において、あえて東京都に対して虚偽の報告を行うような動機は見受けられず、報告の内容自体にも特段疑わしい点がないことからすれば、被告病院は、東京都に対する報告のとおり、同年3月9日以降、本件病室の施錠を行っていなかったと考えるのが合理的である。
加えて、証拠(原告、被告A)によれば、原告が本件病室内にいた期間中、保健所の職員が複数回にわたって被告病院を訪れていたことが認められるところ、被告病院からすれば、東京都職員による指摘を受けた同年3月9日以降も施錠を継続した場合、被告病院を訪れた保健所の職員からも何らかの指摘がされることは容易に想定できるのであるから、被告病院が、保健所の職員から指摘を受ける可能性を受け入れてまで施錠を継続していたとは考え難い上、本件記録を精査しても、実際に保健所の職員から本件病院の施錠に関する指摘があったことをうかがわせる事情も見受けられない。
以上によれば、被告病院は、令和3年3月9日以降、本件病室の施錠を行っていなかったとみて不合理な点はなく、原告が主張する同月10日以降本件病室が施錠されていたとの事実を認めることはできない。
b これに対し、原告は、本人尋問において、①本件病室の中から外を見た際に鍵がかかっているのが見えたとか、②原告を含めて誰も本件病室から自力で出られなかったと、本件病室が施錠されていたとの原告の主張に沿う供述をしている。
しかし、上記①の点については、施錠に用いられた掛け金及び本件病室内の写真(乙22、23)をみると、本件病室の引き戸に設置された小窓から見ることのできる範囲は限られており、本件病室内から本件病室の引き戸に設置された掛け金が見えるとは考え難いことや、被告病院2階倉庫(引き戸は本件病室と同様の構造となっている。)の引き戸に設置された小窓から掛け金が視認できないこと(乙42)に照らせば、本件病室の中から外を見た際に鍵がかかっているのが見えたとの原告の上記①の供述は、不合理であり採用することができない。
また、上記②の点については、本件記録を精査しても、上記②の原告の供述を裏付けるに足りる的確な証拠が見当たらない上、かえって、原告が、本人尋問において、本件病室のドアに手をかけて開けようとしたことはない旨の供述をしていることからすれば、原告において、本件病室が施錠されていなかったにもかかわらず施錠されているものと誤信した可能性も否定できないから、原告を含めて誰も本件病室から自力で出られなかった旨の原告の上記②の供述も採用することはできない。
イ 次に、原告は、令和3年3月9日以降本件病室に施錠がされていなかったとしても、本件病室が原告に病室から出られないと認識させるに足りる状態にあったのであるから、原告は被告病院により心理的監禁状態に置かれていた旨の主張をする。
しかし、本件記録を精査しても、被告病院が、原告に対して本件病室から出ることができない旨を申し向けたり、原告に本件病室から出られないとの認識が生じるように積極的な働き掛けをしたりしたことをうかがわせるような事情を認めるに足りる的確な証拠は見当たらないから、原告が被告病院により心理的監禁状態に置かれていたと認めることはできず、原告の上記主張も採用することはできない。
ウ 以上によれば、争点1-1(被告病院による原告の監禁の有無及び違法性)に係る原告の主張は理由がない。
⑵そうすると、その余の点(争点1-2ないし5)について検討するまでもなく、本件請求1はいずれも理由がない。
2 退院支援に係る被告らの責任の有無(本件請求2の⑴)について⑴被告Aの責任(争点2-1)について
a 退院支援義務の存否について
原告は、精神科病院の管理者は、退院を希望しているが社会的な要因が理由で自力では速やかな退院が困難な入院患者に対し、同患者が退院を果たすために必要な病院外の地域社会との間における生活環境の調整を内容とする退院支援義務を負っている旨の主張をしている。
そこで検討するに、精神保健福祉法は、精神科病院への入院について、①任意入院、②医療保護入院、③措置入院及び④応急入院という四つの入院形態を定めているところ、①の任意入院を除く三つの入院形態においては、患者本人の同意が入院の要件とはされていない。そして、患者本人の同意を要件としていない三つの入院形態のうち、④の応急入院においては、入院期間を72時間に限るという厳格な時間制限が設けられており(精神保健福祉法33条の6第1項)、②の医療保護入院及び③の措置入院においては、患者本人の退院による地域における生活への移行を促進するための措置として、精神科病院の管理者に対して、退院後生活環境相談員を選任し、同相談員に退院後の生活環境に関しての援助を行わせることを義務付けている(精神保健福祉法29条の6、33条の4)。
これに対して、①の任意入院においては、患者本人の同意が入院に当たっての要件となっており(精神保健福祉法20条)、かつ、後記3⑵で詳述するとおり、精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」は退院を希望する旨の意思表示であると解されることからすると、任意入院において、入院患者は、退院を希望する旨の意思表示をすれば、いつでも退院することができる入院形態であるといえる。そして、任意入院においては、入院期間の制限は設けられておらず、患者本人の退院による地域における生活への意向を促進するための措置を精神科病院の管理者に義務付ける旨の規定も設けられていない。
以上によれば、精神保健福祉法は、患者本人の同意なく入院させることとなる②の医療保護入院、③の措置入院及び④の応急入院においては、入院期間の厳格な制限や退院による地域における生活への移行を促進するための措置を義務付けることにより、精神障害者の権利保護を図っているのに対し、患者本人の同意に基づく入院である①の任意入院においては、自らの意思でいつでも退院することができることを前提に、あえて入院期間の厳格な制限や退院による地域における生活への移行を促進するための措置の義務付けを行っていないものとみるのが相当である。そうすると、精神科病院の管理者は、任意入院において、患者から「退院の申出」があった場合に速やかに患者を退院させる法律上の義務を負っているものの、「退院の申出」がされていない段階では、精神障害者の社会復帰の促進等のための援助を行うことにより精神障害者の権利保護を図ろうとする精神保健福祉法の趣旨(同法1条参照)から、患者の退院後の生活調整等について努力するよう求められているということはできるとしても、それを超えて、法律上の義務として、原告の主張するような退院支援義務を負っているとまでは解することができないというべきである。
b 以上によれば、精神科病院の管理者である被告Aは、原告の主張するような退院支援義務を負っているとは認められないから、その余の点について検討するまでもなく、争点2-1(被告の責任)に係る原告の主張は理由がない。
⑵亡Eの責任(争点2-2)及び被告法人の責任(争点2-3)について
a 原告が主張する亡Eの責任は、管理者である被告Aないし被告病院職員らが原告の主張するような退院支援義務を負っていることを前提とするものであると解されるところ、被告Aが上記の退院支援義務を負っているとは認められないことは上記⑴aのとおりであり、また、上記⑴で検討したところに照らせば、被告病院職員らにおいても、上記の退院支援義務を負っていると認められないことは明らかというべきであるから、亡Eの責任(争点2-2)は、その前提を欠き、理由がない。
b また、原告が主張する被告法人の責任(争点2-3)は、①被告Aが原告の主張するような退院支援義務を負っていること、②被告病院職員らに含まれるF医師が原告の主張するような退院支援義務を負っていること、あるいは、③亡Eに原告の退院支援に係る不法行為が成立することを前提としていると解されるところ、被告A及びF医師が原告の主張するような退院支援義務を負っていると認められないことや、亡Eに原告の退院支援に係る不法行為が成立するとは認められないことは、上記aのとおりであるから、被告法人の責任(争点2-3)は、その前提を欠き、理由がない。
⑶以上によれば、その余の点(争点2-4)について検討するまでもなく、本件請求第1の2⑴の主位的請求はいずれも理由がない。
3 退院の申出に係る被告らの責任の有無(本件請求2の⑵ないし⑷)について
⑴認定事実
前提事実並びに後掲各証拠等及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
ア 原告は、平成27年7月31日以降、グループホームであるHに居住するとともに、①平成28年6月15日から同年7月20日までの間、②同年8月31日から同年10月26日までの間、③同年11月30日から平成29年2月15日までの間、それぞれ被告病院に任意入院し、④同年2月22日、被告病院に4回目の任意入院(本件入院)をした(争いのない事実)。
イ F医師は、平成29年6月21日に原告についてのケースカンファレンスを開催した後、同年7月12日、被告病院のスタッフ、Hの職員、保健師、d区のケースワーカーらと共に、原告についての2回目のケースカンファレンスを開催した。この2回目のケースカンファレンスにおいて、F医師及びその他参加者らは、原告の退院後の居住先を救護施設とする方針を確認した。(乙5、証人F)
ウ 原告は、同年7月31日、Hの利用期限が到来したことから、同日以後はHに居住することができなくなった(争いのない事実)。
エ 原告は、平成30年1月11日、被告病院において、「もう決心がつきました。ただ一人ぐらしは不安なので、グループホームに入りたいです。」との発言をした。
オ 被告病院は、同年3月27日頃、救護施設であるGに対し、原告の入居の申込みを行った。その後、原告が被告病院を退院する令和3年7月28日に至るまで、Gに原告が入居できる空きが生じることはなかった。(乙9、証人F)
カ 原告は、令和2年10月21日、被告病院から外出し、そのまま被告病院に戻らず、c駅へと向かった。その後、原告は、d区役所の職員に対し、『10年も入院していたので、被告病院には戻りたくない』旨を連絡し、原告からの連絡を受けたd区役所の職員は、被告病院の職員に対し、その旨を伝えた。そこで、被告病院は、被告病院の職員をc駅に向かわせ、被告病院の職員が、c駅前の椅子に座っている原告を発見し、車に乗せて被告病院へ戻った。原告は、被告病院に戻る車内において、被告病院の職員から被告病院を離れた理由を尋ねられたのに対して、「退院したかった」「もうどうにでもなっていいと思った」などと発言した。(乙5、6)
キ F医師は、同年12月23日、原告の退院先の調整を担当するケースワーカーに対して、原告の退院後の居住先として、グループホームを探すことを許可する旨を伝えた(乙9)。
ク 原告は、同年7月28日、I弁護士の関与のもと、被告病院を退院し、グループホーム「J」での居住を開始した(争いのない事実、乙6)。⑵精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」の解釈について
ア 精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」の意義について、原告は、退院を希望する旨の意思表示であると解すべきである旨の主張をするのに対し、被告らは、「退院の申出」は、適切な受入先の確保という客観的な状況が存在していることを前提とするものと解すべきである旨の主張をする。そこで、本件において「退院の申出」に該当する申出がされたか否かを判断する前提として、精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」の意義について検討することとする。
a 精神保健福祉法は、21条2項の文言上、「退院の申出」について何らの留保も付しておらず、その他に、同法上、「退院の申出」について何らかの限定を付していると解される条項も見受けられない。加えて、任意入院が患者本人の同意に基づく入院形態として規定されていることからすると、任意入院から退院する場合も、特段の留保なく、本人の希望があれば退院できるものとみるのが合理的である。したがって、「退院の申出」は、原告の主張するとおり、退院を希望する旨の意思表示であると解するのが相当である。
b これに対し、被告らは、「退院の申出」について、適切な受入先の確保という客観的な状況が存在していることを前提とするものと解さなければ、行き場のない患者が退院後に路頭に迷うこととなり、精神保健福祉法の精神障害者の福祉の増進を図るという目的に反する旨の主張をする。
しかし、精神保健福祉法は、「退院の申出」があった場合であっても、①21条3項により、同項に定める要件を満たせば72時間の間は当該患者を退院させないことができる旨を、②同条4項により、同項に定める要件を満たせば12時間の間は当該患者を退院させないことができる旨をそれぞれ規定し、「退院の申出」をした患者であっても直ちに退院させないことができる一定の例外を設けている上、③33条により、患者本人の同意によらない入院形態として医療保護入院の制度を設けている。そうすると、「退院の申出」を受けた精神科病院の管理者において、当該患者の入院を継続する必要があると考えるのであれば、精神保健福祉法21条3項による指定医の診察又は同条4項による指定医以外の医師の診察を受けさせて入院を継続させた上、それでもなお入院継続が必要であれば、同法33条に基づく医療保護入院への切替えを行うというのが、精神保健福祉法上想定されている対応といえる。このように、精神保健福祉法は、患者から「退院の申出」があった場合であっても、当該患者を退院させるのが相当ではない場合があり得ることを想定した上で、一定の要件を満たす場合にのみ、厳格な時間制限を設けて退院させないことを許容しているのであるから、同法が規定していない場合にまで、「退院の申出」をした患者の入院を、同法が規定しない理由により、当該患者の意思に反して継続させることは、同法が予定するところではないというべきである。このように、精神保健福祉法は、患者による退院の希望が当該患者の福祉を害するものである場合であっても、そのような退院の希望が「退院の申出」に当たることを前提として、当該申出に基づく退院を認めない場合を規定しているのであるから、退院を希望する旨を表明した患者の適切な受入先が確保されていないことにより、当該患者を退院させると当該患者の福祉が害される場合があり得るとしても、そのことをもって、適切な受入先が確保されていない状況での退院の希望が「退院の申出」に該当しないと解することはできない。
したがって、適切な受入先の確保という客観的な状況が存在していなければ「退院の申出」に該当しないとの被告らの上記の主張は採用することができない。
イ また、被告は、「退院の申出」の認定について、患者の表面的な言動のみならず、当該意思の表明の前後の患者の病状や言動、当該言動に至った経緯等を総合的に勘案し、それが真摯な検討の結果としての退院希望の表明といえるか否かを慎重に検討し、厳格に判断すべきである旨の主張をする。
しかし、「退院の申出」すなわち退院を希望する旨の意思表示といえるか否かの判断に当たっては、他の意思表示と同様に、当該意思表示がされた際の状況等からその意味内容を認定する必要はあるものの、他の意思表示に比して、その認定をより厳格に行うべき根拠は何ら見いだせないから、被告の上記主張もまた採用することができない。
⑶平成29年5月31日までにされた退院の申出(本件申出1)に係る被告らの責任の有無(本件請求2の⑵)について
ア 平成29年5月31日までに精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」に該当する申出があったか(争点3-1)について
a 原告は、平成29年6月21日及び同年7月12日において、原告の退院後の居住先等についてのケースカンファレンスが開催されていることから、同年5月31日時点において、原告から「退院の申出」に該当する申出がされていた旨の主張をするとともに、本人尋問において、同時点までに退院の希望をF医師及び被告病院職員らに伝えていた旨の供述をしている。
b しかし、上記⑴イのとおり、F医師らが、同年6月21日及び同年7月12日にケースカンファレンスを開催していることは認められるものの、①本件記録を精査しても、これらのケースカンファレンスが、原告から「退院の申出」があったことを契機として開催されたと認めるに足りる的確な証拠は見当たらないし、②「退院の申出」がされる前の段階で、将来の原告の退院に向けてケースカンファレンスが開催された可能性も十分に考えられるから、上記のケースカンファレンスが開催されたとの事実から直ちに、同年5月31日時点において原告から「退院の申出」に該当する申出がされていたと認めることはできない。
また、原告の供述の内容をみても、同年5月31日より前の時点における、F医師及び被告病院職員らに対する申出の具体的な態様や申出に至る具体的な経緯は判然としないから、原告の上記の供述から直ちに、同年5月31日時点において原告から「退院の申出」に該当する申出がされていたと認めることもできない。
c 以上によれば、争点3-1(平成29年5月31日までに精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」に該当する申出があったか)に係る原告の主張は理由がない。
イ そうすると、その余の点(争点3-2から4)について検討するまでもなく、原告の本件請求2の⑵はいずれも理由がない。
⑷平成30年1月11日までにされた退院の申出(本件申出2)に係る被告らの責任の有無(本件請求2の⑶)について
ア 平成30年1月11日までに精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」に該当する申出があったか(争点4-1)について
a 上記⑴エのとおり、原告は、平成30年1月11日に「もう決心がつきました。ただ一人ぐらしは不安なので、グループホームに入りたいです。」との発言をした事実が認められるところ、原告は、かかる原告の発言を根拠として、同日までに「退院の申出」があった旨の主張をしている。
b そこで検討するに、確かに、原告の上記の発言のうち、「もう決心がつきました。」との発言からは、原告が被告病院を退院することを決心したという意味とも取れ、退院を希望する旨の意思表示をしているようにも見る余地がある。しかしながら、原告が、「ただ一人ぐらしは不安なので、グループホームに入りたいです。」とも発言していることに加えて、従前住んでいたHの居住期限が経過しており(上記⑴ウ)、Hに代わるグループホームも確保されていない状況であったことからすると、原告は、即座に退院して一人ぐらしの状態になることまでは望んでおらず、退院後の帰住先としてグループホームが確保された段階で退院したいとの意思を有し、これを表明したものとみるのが合理的である。
そうすると、上記⑴エで認定した原告の発言は、被告病院に対して、退院後の帰住先となるグループホームを確保するように要望したものとみるのが相当であり、退院を希望する旨の意思表示、すなわち「退院の申出」に該当すると認めることはできない。
c 以上によれば、争点4-1(平成30年1月11日までに精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」に該当する申出があったか)に係る原告の主張は理由がない。
イ そうすると、その余の点(争点4-2から4)について検討するまでもなく、原告の本件請求2の⑶はいずれも理由がない。
⑸令和2年10月21日までにされた退院の申出(本件申出3)に係る被告らの責任の有無(本件請求2の⑷)について
ア 令和2年10月21日までに精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」に該当する申出があったか(争点5-1)について
a 原告は、原告が令和2年10月21日に外出などした際に、被告病院職員らに対し、明示的又は黙示的に「退院の申出」をした旨の主張をしている。
そこで検討するに、上記⑴カで認定した令和2年10月21日における原告の行動をみると、原告は、単に被告病院から外出するのみならず、被告病院に戻りたくない旨をd区役所に連絡していることからすると、被告病院から退院しようという意思のもと、被告病院から外出する行動に出たことがうかがわれ、さらに、原告は、外出先から被告病院へ戻る際、被告病院の職員に対し、「退院したかった」、「もうどうにでもなっていいと思った」などと発言し、被告病院から退院したいという意思があることを明確にしている。そして、同日の時点で、原告の入院期間は約3年8か月もの長期に及んでいたことや、上記⑴エで認定したとおり、平成30年1月11日の時点で、被告病院に対して退院に向けた受入先を調整するよう求めたりしていたことをも併せ考えると、原告は、上記⑴カで認定した原告の一連の行動及び発言により、被告病院の職員に対し、同病院からの退院を希望する旨の意思表示をしており、これは精神保健福祉法21条2項の「退院の申出」に該当すると認めるのが相当である。
これに対し、被告らは、原告が、被告病院から外出した後、最終的に被告病院に戻っていることから、令和2年10月21日の一連の行動を踏まえても、「退院の申出」に該当する申出があったとはいえない旨の主張をしている。しかし、原告が外出先のc駅から被告病院に戻るまでの経緯をみると、上記⑴エで認定したとおり、被告病院の職員が外出先のc駅まで原告を迎えに行き、原告を車に乗せて被告病院に戻っているのであるが、原告において、被告病院の職員が迎えに来ているにもかかわらず、それを拒否して被告病院に戻らないという選択をとることはおよそ現実的ではなく、被告病院の職員が迎えに来た時点で被告病院に戻るほかない状況に置かれていたということができるから、原告が被告病院に戻ったことをもって、被告病院からの退院を希望する旨の意思表示をしていないと評価することはできない。したがって、被告らの上記主張は採用することができない。
b また、被告らは、原告から令和2年10月21日に「退院の申出」に該当する申出がなされていたとしても、原告がその後も被告病院での入院を継続していることから、「退院の申出」は撤回された旨の主張をしている。
しかし、「退院の申出」をした後も、医療機関側が退院に向けた対応を取らなければ、退院することは事実上困難であると考えられることを踏まえて考えると、医療機関側が退院に向けた対応を取らなかったことから入院が継続されたような場合には、単に入院が継続されたことをもって「退院の申出」の撤回に該当する行為があったとは評価できず、そのような場合でも「退院の申出」の撤回があったといえるためには、患者からこれを撤回する旨の明示的な意思表示がされたとか、医療機関側から、「退院の申出」があったことを前提として、これを撤回するよう説得するなどの働き掛けがされ、患者がそれに応じて入院を継続したなどという事情が必要であるというべきである。これを本件についてみるに、原告の主治医であるF医師は、証人尋問において、令和2年10月21日に原告から「退院の申出」があったとの認識は有していなかった旨の証言をしているのであり、その他の証拠を踏まえて考えても、F医師及びその他の被告病院職員らが原告からの「退院の申出」があったことを前提とした対応を取っていたとの事実は認められず、かつ、本件記録を精査しても、被告病院職員らが原告に対して「退院の申出」を撤回するよう働き掛けたと認めるに足りる的確な証拠は見当たらないから、原告が被告病院職員らの働き掛けに応じて「退院の申出」を撤回したとの事実は認められないし、また、本件記録を精査しても、原告が被告病院職員らに対して「退院の申出」を撤回する旨の明示的な意思表示をしたと認めるに足りる的確な証拠は見当たらないから、かかる事実も認められない。そうすると、原告は、「退院の申出」を行ったにも関わらず、F医師らが「退院の申出」があったことを踏まえた対応を何ら行わなかったことから、やむを得ず入院を継続したとみるのが相当であり、被告病院での入院を継続したことをもって、「退院の申出」が撤回されたとはいえず、被告らの上記主張も採用することはできない。
イ 被告Aの責任(争点5-2)について
a 精神保健福祉法21条2項は、任意入院の患者から「退院の申出」を受けた精神科病院の管理者に対し、当該患者を退院させることを義務付けているものと解されるところ、精神保健福祉法が精神科病院と患者との関係を直接規定するものではないと解されるにしても、上記⑵アbで説示したとおり、精神保健福祉法が、患者から「退院の申出」があった場合に一定の要件を満たす場合にのみ、厳格な時間制限を設けて、退院させないことを許容するという態度を示していることに照らせば、同法21条2項は、患者の意思に反して入院が継続されることを防ぐという患者の人権保護の側面をも有しているものと解することができる。
そして、これを踏まえて考えれば、患者から「退院の申出」に該当する申出を受けた精神科病院の管理者は、当該患者に対する関係でも、特段の事情がない限り、当該申出をした患者を速やかに退院させなければならず、また、速やかに退院させられない特段の事情があった場合には、可能な限りその解消に努め、当該申出をした患者を速やかに退院させなければならず、これらのために当該病院の職員らに対して適切な指示を行うべき注意義務を負っており、精神科病院の管理者が、かかる義務に違反して、当該患者を速やかに退院させることなく、当該患者の入院を継続させた場合には、不法行為法上も違法になると解するのが相当である。
b そこで検討するに、被告Aは、原告が本件申出3をした令和2年10月21日の当時、被告病院の管理者として同病院の院長の地位にあったものであり、かつ、上記⑴カで認定した事実経過については、入院患者の無断外出という重大事案であったのであるから、被告病院職員らから報告を受けて認識していたものと推認することができ、したがって、被告Aは、同日、原告から「退院の申出」に該当する申出を受けたものと認めるのが相当であるから、特段の事情がない限り、原告を速やかに退院させなければならず、また、原告を速やかに退院させられない特段の事情があった場合には、可能な限りその解消に努め、当該申出をした患者を速やかに退院させなければならないのであり、これらのために被告病院職員らに対して適切な指示を行うべき注意義務を負っていたものと認められる。
c そして、原告が被告病院を退院したのは、原告が本件申出3をした令和2年10月21日から約9か月後の令和3年7月28日であるから、被告Aにおいて、原告が本件申出3をしてから原告を速やかに退院させていないことは明らかである。
d そこで次に、被告Aにおいて、原告が本件申出3をしてから原告を速やかに退院させることができなかったことにつき、特段の事情があったか、また、原告を速やかに退院させられない特段の事情があった場合には、可能な限りその解消に努めたかにつき検討する。
⒜上記⑴ウないしオで認定したところによれば、原告が本件申出3を行った令和2年10月21日の時点において、原告は、従前居住していたHの利用期間が経過したために同所に居住することができず、具体的な退院後の居住先が定まっていなかったとの事実が認められる。
しかし、本件申出3がされた時点において、原告の退院後の居住先が確保されていなかった要因についてみると、被告病院が、本件入院の開始から本件申出3がされるまでの約3年8か月の間、上記⑴オのとおり、Gに対して入居の申込みを行ったほかは、原告の退院後の居住先の確保に向けた具体的な調整を行っていない上、上記⑴エのとおり、原告から退院後の居住先としてグループホームを探すように要望されていたにもかかわらず、これをしていなかったことにあるといわざるを得ないから、本件申出3がされた時点において原告の退院後の居住先が確保されていなかったとの事実を被告Aの不法行為責任を否定する特段の事情として位置づけるのには、そもそも疑問があるといわざるを得ないというべきである。
また、この点を措いて考えても、本件申出3を受けた後の被告病院職員らによる原告の退院に向けた対応の内容をみると、上記⑸アbのとおり、「退院の申出」がされたことを前提とする対応はされておらず、また、上記⑴キのとおり、本件申出3がされてから具体的に退院先であるグループホームの確保を開始するまでに約2か月を要している上、上記⑴クのとおり、その後、被告病院とは関係のないI弁護士の関与のもとで、本件申出3から約9か月後に被告病院を退院することができているのであって、これらの事実からは、被告Aにおいて、原告を速やかに退院させられない特段の事情の解消が可能であったにもかかわらず、その解消をするために被告病院職員らに対して適切な指示を行うことを怠っていたものと認めるに十分であり、その結果、原告を速やかに退院させることができなかったものと認めるのが相当である。
⒝これに対し、被告A及び被告法人は、原告を速やかに退院させられなかったのにはコロナ禍が影響している旨の主張をしているところ、原告が本件申出3を行ってから被告病院を退院するまでに約9か月もの期間を要していることを踏まえて考えれば、その間、原告が約2週間新型コロナに感染していた期間があったことや(前提事実⑺)、コロナ禍の影響により被告病院の運営に一定の支障が生じていたと推認することができることは、被告Aの不法行為責任を否定する理由となるものではないというべきである。
また、被告A及び被告法人は、原告が本件申出3をしてから直ちに退院できなかった原因は、原告の精神医学的状態が不安定であったことにある旨の主張をする。しかし、証拠(乙5、6、9)によれば、原告は、本件申出3をした令和2年10月21日以降、怒りにより興奮状態になったり、原告と同部屋の患者と喧嘩になったりすることがあった事実は認められるものの、これらの事情を踏まえても、その内容に照らし、退院が困難であるほど精神状態が悪化していたと認めるには足りないというべきである。また、本件申出3がされる前の期間においても、原告の精神状態が不安定であることがうかがわれる期間はあるものの(乙5、6)、本件記録を精査しても、本件入院の3年8か月間という長期間にわたって、常に退院が困難な状態に置かれていたことを認めるに足りる的確な証拠は見当たらないから、本件申出3がされるまでの原告の精神状態を含めて検討しても、本件申出3がされた時点以降において、原告の精神状態が、退院が困難であるほど悪化していたと認めるには足りない。以上によれば、被告らの上記主張は採用することができない。
なお、F医師は、原告が被告病院を退院するまでの間に、I弁護士が退院の調整に関与したことにより、原告の退院が2か月程度延びることになった旨の証言ないし陳述をしているが(乙40、証人F)、本件記録を精査しても、I弁護士が原告の退院の調整に関与しなかった場合に、原告が実際より2か月早く退院できていたと認めるに足りる的確な証拠があるとはいえないから、F医師の上記の証言ないし陳述は、直ちには採用することができない。
e 以上によれば、被告病院の管理者である被告Aには、原告において本件申出3がされた後に速やかに退院できず長期間にわたって被告病院に留め置かれたことにつき、民法709条に基づく不法行為責任があると認めるのが相当である。
ウ 亡Eの責任(争点5-3)について
原告は、被告法人の理事長であった亡Eが、被告病院の管理者である被告Aを通じて原告からの本件申出3がされたことを受けて原告の退院を速やかに実現すべく監督すべき義務を負うとともに、被告Aや被告病院職員らが精神保健福祉法をはじめとする法令の規定を遵守する体制を構築、運用すべき義務を、入院患者との関係でも負っていた旨の主張をする。
しかし、仮に亡Eが原告の主張するような注意義務を負っていたとの前提に立って考えたとしても、本件記録を精査しても亡Eが当該注意義務を怠ったことをうかがわせるような具体的な事情を認めるに足りる的確な証拠は見当たらない。
以上によれば、亡Eは、原告において本件申出3がされた後に速やかに退院できず長期間にわたって被告病院に留め置かれたことにつき、民法709条に基づく不法行為責任を負うものと認めることはできない。
エ 被告法人の責任(争点5-4)について
上記アのとおり、被告Aは民法709条に基づく不法行為責任を負うところ、被告Aの不法行為は被告病院を運営する被告法人の業務の執行につき行われたことが明らかである。
したがって、被告法人は、F医師の責任について検討するまでもなく、原告において本件申出3がされた後に速やかに退院できず長期間にわたって被告病院に留め置かれたことにつき、民法715条に基づく使用者責任を負うものと認められる。
オ 原告の損害(争点5-5)について
a 慰謝料について
原告は、本件申出3を行ったにもかかわらず、その後、約9か月にわたり、その意思に反して入院を継続することを強いられることとなったものであり、その間、一定の行動の制限を受けたほか、いつ退院できるのかとの不安の日々を過ごしたことは、容易に推認することができること、その他、本件に現れた諸事情を考えると、原告が受けた精神的苦痛に対する慰謝料は、50万円とするのが相当である。
b 弁護士費用
被告Aの不法行為と相当因果関係のある弁護士費用相当額は、上記aで認めた慰謝料の1割に相当する5万円を認めるのが相当である。
c なお、遅延損害金の起算日は、本件が継続的不法行為の全体に係る慰謝料をまとめて請求するものであることに照らせば、被告Aによる不法行為が終了した日であり、原告が被告病院から退院した日である令和3年7月28日とするのが相当である。
カ まとめ
以上によれば、本件請求2の⑷のうち、被告A及び被告法人に対する請求は、同被告らに対して連帯して55万円及びこれに対する令和3年7月28日から支払済みまで年3%の割合による金員の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がなく、亡Eの訴訟承継人に対する請求は、いずれも理由がない。
第5 結論
よって、主文のとおり判決する。
東京地方裁判所立川支部民事第2部
裁判長裁判官 杉山順一
裁判官 松本諭
裁判官 藤井貴洋
出典:裁判所ウェブサイト「裁判例検索」(https://www.courts.go.jp/hanrei/97036/detail4/index.html)。本文は同サイト掲載の判決書PDFからTaiLexi AIがテキスト化・整形したもの(正確な文言は原本PDFを参照)。判示事項・裁判要旨・参照法条は裁判所の公表どおり。